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中世ヨーロッパの生活呪文

(増補改訂版) 第1回
「中世イングランドの呪文詩」

 テンプラソバ
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◇はじめに
 おはようございます!
 中世ヨーロッパと西洋風ファンタジーが大好きなテンプラソバと申します。
 中世ヨーロッパの生活に密着した呪文についてのコラム第2回を始めます。

 今回は、「いなくなった牛を探す呪文詩」を紹介します!
 紹介する呪文は、中世に書かれた医学書などに記載され現代まで伝わるもので、フィクションではなく実際に使われていた可能性が高い、ある意味「本物」の呪文です!
 (ドラマの方は、設定も含めて私がフィクションとして書いたものです)

■ドラマパート前回のあらすじ
 10世紀、中世イングランドのとある地方「ハマートン」にて、牛泥棒事件が発生した。
 領主エドリック・ハマーは、解決の糸口が見えないため、ハードウルフという司祭に助力を求める。
 実はハードウルフは「呪文詩」という不思議な力を持つ者だ。
 彼は協力を約束するものの、強力な呪文には災いをもたらす副作用があることを警告する。
 その事に、エドリックは即答できず考え込むのだった。

■登場人物
エドリック・ハマー:ハマートンの領主
ハードウルフ:ハマートンの司祭にして医師(リーチ)
エグビン:ハマー家の家人で、エドリックが信を置く者
ウィゴット:牛泥棒の被害にあった農場主
メイソン:ウィゴットの従兄、ウィゴットと一緒にエドリックに陳情しにきた

◆第3幕「ガールムンド」
■舞台は整った
 日が西に傾く頃、農民達は麦畑から引き揚げ、牧童達は家畜を追いながらそれぞれ家に向かう。
 昼間は閑散としている村の広場が少しだけにぎやかになる時間、エドリックとハードウルフが広場の中央に立っていた。

 ハードウルフは、写本を片手に持ち、もう一方の手にはねじれたハシバミの杖を握り、村の集会などに使う台の上に立っている。
 台の横でエドリックが剣を地面に突き立てつつ、束(つか)に両手を置いてハードウルフと同じ方角を見ていた。
 ハードウルフが信頼する家人エグビンは、そんなハードウルフとエドリックを見守るように広場に立っている。
 いったい何が始まるのかと足を止める農夫、噂を聞きつけてわざわざ見に来た子供達などで、いつの間にかエグビンの背後に人だかりができていた。
 ウィゴットとメイソン、そして牛番のダーシーという名の者も来ている。
 メイソンの顔はなぜか不安げだ。


■詠唱
 ハードウルフが軽く咳ばらいをすると、小さな声でなにごとかつぶやきだした。
 つぶやき終わった後、説教などで鍛えたその喉から迫力のある低い声で古の呪文詩を詠唱し始めた。

「ガールムンド、神の家臣よ、
 かの家畜を見つけたまえ、かの家畜を戻したまえ、
 かの家畜を捕らえたまえ、かの家畜を保ちたまえ、
 そしてかの家畜を家に戻したまえ、
 盗人の家畜を導き行く土地一坪たりともなきよう、
 家畜を贈る土地もなきよう、
 家畜を囲う家もなきよう。」

 ハードウルフは、両手を大きく広げ、ハシバミの杖をかざし呪文を続ける。
 夕明かりが目に反射し、炎のようにきらめく。

「これを試みる者ありとて、ゆめ思いのままにはならぬように。
 三日のうちに我彼(ガールムンド)の力を知らん、
 彼の力、彼の守護力を。
 盗人、木が火に焼かるる如く消え失せんことを、
 盗人、アザミのごとく虚弱にならんことを、
 家畜を盗まんとする者が、
 家畜を盗まんとする者が。」*1

■発現
 夕闇の茜と夜の蒼色が混ざり、静寂が訪れる。
 この辺りではあまり見ないはずのワタリガラスの群れが、突然村の上空を通る。
 村人があぜんと見上げる中、群れが一体となって影が様々な形を作りつつ飛んでいく。
 そして影が、一瞬人の顔のような形になり村を見つめた。
 顔のような形はすぐに崩れ、そして入り乱れたワタリガラスが群れごと森の方に去っていく。

 皆かたずをのんで静かになった中で、一人の男が小さく悲鳴をあげた。
 彼は一人、村の出口に向かって速足で歩きだした。
 エドリックはその姿がメイソンであることを見抜いた。

「エグビン!」

 信頼する家人の名前だけを呼ぶエドリック。
 エグビンは心得たとばかりに、メイソンの後を追いかけ始める。


*1 呪文詩の訳文は、唐沢 一友 (著)アングロ・サクソン文学史:韻文編 (横浜市立大学叢書―シーガルブックス, 東信社, 2004) より引用しています。


◆解説編3
■居なくなった牛を探す呪文詩(1つ目、3つ目)
 写本に記載されている3種類の「居なくなった牛のための呪文詩」ですが、1つ目と3つ目の呪文詩はほぼ同じ内容です。(なぜ同じ内容なのかよくわかりません)
 1つ目と3つ目の呪文の内容は、キリスト教の影響を大変強く感じる内容です。
 以下に、私自身が英語から翻訳した内容を紹介しましょう。

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 あなたの物がなくなったと誰かに告げられたら、まずこう言いましょう。

『キリストが生まれしその街は、ベツレヘムという。
 その街の名は、かの御方の人類救済のための偉大なる死のために、中つ国にあまねく知れわたる! アーメン!』

 それから東に向い、以下を3回唱えましょう。

『キリストの十字架は、東よりもたらされた!』

 また西、南、北、それぞれに向い、呪文詩も「東」からそれぞれの方角に入れ替えつつ、同様に3回唱えましょう。
 最後に以下を唱えましょう。

『ユダはキリストを密告し最悪の形で死をもたらし、さらにその行いを隠そうとして隠せずなり。
 ゆえに、キリストの聖なる十字架にかけて、何事も隠し通せませんように! アーメン!』

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 以上のように、キリストの説話と奇跡になぞらえて、なくなったものを取り戻そうとする内容になっています。


■居なくなった牛を探す呪文詩(2つ目)
 2つ目の呪文詩のみ、上記のドラマで紹介したように異なる内容となっています。
 呪文詩の前文にキリストの偉業になぞらえて、盗まれた牛を隠しおおせないといった呪文と、しめくくりに「アーメン」という言葉が入り、キリスト教関連であるような体裁が整えられています。

 しかし、呪文詩のほとんどはガールムンドという「神の臣下」によって、盗人が悪事を暴かれ罰せられるという内容となっています。
 このガールムンドについては、呪文詩の引用元の著者 唐沢一友さんは、何者であるか一致した意見はないものの、超自然的存在であり、この呪文自体異教の古い伝統に則ったものであると考えられると述べていらっしゃいます。
 はたして、ガールムンドとは一体なんでしょう?


◆第4幕 ガールムンド
■「家畜を盗んだ者」
 速足で村はずれの方向に急ぐメイソン。
 後方からエグビンが声をかけると、はじかれた様に走り出した。
 エグビンと3人ほどの家人が、猟犬のようにその後方を走って追跡しだした。
 メイソンが逃げ切るのはどうも難しそうな様子だ。

 やがて村はずれ近くの建物の影で、エグビン達がメイソンに追いつく。

「俺にさわるな! 俺にさわるな! 俺が本気になれば、お前たちごとき……!」

 必死に抵抗の叫びをあげるメイソンだったが、すぐにおとなしくなった。


■事件は解決した
 メイソンの自白によって、ウィゴットの牛は無事見つかった。
 村からだいぶ離れた使われなくなった家屋の中に隠していたのだ。
 牛はエサもろくに与えられていなかったのかヨロヨロ歩きだった。
 さいわい、命には別条なさそうだ。

 メイソンは盗人として拘留されるが、館の拘束部屋の準備に1日ほどかかってしまう。
 そこでひとまず、メイソンをウィゴットの家の小屋に拘留する事となった。
 明日エドリックが、メイソンのもとに向かい直々に事情聴取をするのだ。


■「木が火に焼かるる如く消え失せんことを」
 その夜……
「火事だ!!」といういくつかの叫び声でエドリックは目が覚めた。
 急いで外にでると、ウィゴットの家がある方向が明るい。

「まさか……!」

 燃えているのは、メイソンが拘留されている小屋だった。
「村にも災いが起きる」とはこのことかと、エドリックは燃える炎に一瞬見入った。

 はたして、メイソンは無事か?
 そもそもなぜ出火したのだろうか?
 その疑問を振り払うように、エドリックはエグビンや他の家人に消火の指示をきびきびとあたえ、自らも現地に消火におもむこうとしていた。


~次回に続く~


◆解説編4
■「ガールムンド」の考察1
 呪文詩に出てくるガールムンドですが、調べてみると実は同名の人物がとある有名な叙事詩の中に少しだけ出てきます。
 それは、英雄ベーオウルフを称えるイギリス最古の英雄叙事詩「ベオウルフ」です。
 しかしガールムンド自身に関する記述はほとんどなく、子がオファ王、孫がエーオメール王であることぐらいしか書かれていません。
 またアングロ・サクソン人の伝説的な王についてまとめた書籍「アングロ・サクソン年代記」には、ウェルムンド王という人物が出てきて、またの名をガールムンドと言います。
 ウェルムンド王は、北欧神話の主神オーディンの孫ともされるようです。
 ただウェルムンド王も、盗まれたものを奪還したり、失くし物を見つけたりといったエピソードがあるわけではなく、仮に呪文詩の中の人物と同一とした場合、その理由がよくわからないと言えます。
 オーディンの血族という部分は何か関係ありそうですが、やはり謎の人物ですね。

■「ガールムンド」の考察2
 ガールムンドについては、ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジで呪文詩に関する論文で博士号を取得したカレル・フェリックス・フライエ(以下フライエと略します)によって面白い考察がされています。
 彼の調べによるとやはり謎の人物として議論されていて、いわく「キリスト教以前の神話上の霊または人物」、「インド・ヨーロッパ語族の起源を持つ若い神」、「戦士文化の典型的な要素を構成している軍事的用語」など諸説あるようです。

 さらにフライエは、5世紀前後に実在した守護聖人ゲルマヌス(オーセールのゲルマヌス)に以下の2点で注目します。
 1) 聖ゲルマヌスは書籍などを通して初期イングランドでも知られていたこと
 2) 聖ゲルマヌスのエピソードの中に、盗人を拘束したり自白させる奇跡の物語があること
 聖ゲルマヌス=ガールムンドと断定はしていませんが、従来の謎の人物像に光をあてる論説をされています。

 ちなみに聖ゲルマヌスはフランス出身で、フランス語読みをすると「サン・ジェルマン」となります。
 永遠にいきるという伝説の怪人サン・ジェルマン伯爵とどういう関係があるのかは不明です……

■アザミの呪い
 呪文詩の最後にある一節「盗人、アザミのごとく虚弱にならんことを」についてもフライエは呪いの一種であるという指摘をしています。
 北欧神話について描かれた詩集「エッダ」の中で、女神フレイヤの従者スキールニルが、巨人を「アザミの花のようになれ!」と呪うシーンが出てきます。
 アザミは枯れる際に綿毛を風に飛ばして散っていくわけですが、この様子が力を失い滅ぶイメージに重なり「アザミの花のようになる」ことが呪いとして成立しているのではと考察してます。
 さらに同時に、旧約聖書詩編82にある異教徒が神の力で滅んでいくシーンにも韻律が重なる部分があり、二重に呪いの言葉として唱えられているのではないかと考察しています。
 呪文の考察は奥が深そうですね。

◇次回予告
火事の焼け跡から牛泥棒の行方につながりそうな手掛かりを見つけるエドリック
一方治療所にてハードウルフは多くの患者を相手に様々な呪文詩を唱える
呪文詩の癒しの力とは?!
中世ヨーロッパの生活呪文 第3回「体を癒す呪文詩」
ご期待ください!


◆参考文献
唐沢一友(著)アングロ・サクソン文学史:韻文編 (横浜市立大学叢書―シーガルブックス, 東信社, 2004年)
Merriam-Webster Encyclopaedia Britannica 1911.Vol28.P523."WERMUND"
(カレル・フェリックス・フライエ)Karel Felix Fraaije, Magical Verse from Early Medieval England: The Metrical Charms in Context, English Department University College London,2021,Doctoral thesis (Ph.D)
ウェンディ・デイヴィス/編 鶴島博和/監訳 オックスフォード ブリテン諸島の歴史 3 ヴァイキングからノルマン人へ(慶應義塾大学出版会,2015年)

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