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中世ヨーロッパの生活呪文

(増補改訂版) 第3回
「体を癒す呪文詩」

 テンプラソバ

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◇はじめに
 おはようございます!
 中世ヨーロッパと西洋風ファンタジーが大好きなテンプラソバです。
 中世ヨーロッパの生活に密着した呪文についてのコラム第3回を始めます。

 今回は、流産やみずぼうそう、こぶなど人の体の様々な症状を癒す「治癒の呪文詩」を紹介します!
 紹介する呪文は、中世に書かれた医学書などに記載され現代まで伝わるもので、フィクションではなく実際に使われていた可能性が高い、ある意味「本物」の呪文です!
(ドラマの方は、設定も含めて私がフィクションとして書いたものです)


■ドラマパート前回のあらすじ
 10世紀、中世イングランドのとある地方「ハマートン」にて、牛泥棒事件が発生した。当時牛は貴重なため、村を挙げて捜索するも見つからず。
 領主のエドリック・ハマーは、不思議な力を持つ医師のハードウルフに牛を探す呪文詩を使うよう助力を求めた。
 ハードウルフは協力を約束するものの、強力な呪文には災いをもたらす副作用があることを警告する。
 村の広場で牛を探し盗人を罰する呪文詩を発動させるハードウルフ。
 やがて、容疑者のメイソンが捕まる。
 しかし、その日の夜に犯人を拘留していた小屋が火事に!
 呪文の副作用なのか?! メイソンは果たして無事なのか?!

■登場人物
エドリック・ハマー:ハマートンの領主
ハードウルフ:ハマートンの司祭にして医師(リーチ)
エドマ:エドリックの妻。とても快活で活動的
エグビン:ハマー家の家人で、エドリックが信を置く者
ウィゴット:牛泥棒の被害にあった農場主
メイソン:ウィゴットの従兄、牛泥棒の犯人として拘留中
ダーシー:ウィゴットの牛番。
ダーシーの母:息子の事で取り乱す。息子への情が深い
3人の老婆:ハードウルフの治療所の常連

◆第5幕「エドマ」
■横たわる体
 メイソンを拘留していた小屋は焼け落ちた。
 日が昇る頃に、エドリック達は焼け落ちた小屋の残骸を片付けつつ、メイソンの遺体を探し、それらしき体を見つけた。
 うつぶせの体は、焼け跡にあるにしては綺麗だ。
 また、エドリックは遺体にどこか不自然さを感じる。
 そこで彼は、メイソンの従弟で牛盗難の被害者でもあるウィゴットに尋ねる。
「ウィゴットよ、この者は本当にメイソンだろうか?」

 沈痛な面持ちでぼんやり眺めていたウィゴットは、一瞬けげんな顔をしたが、改めて遺体をよく観察しだした。
 焼け残った衣服は、確かにメイソンのものにしてはだいぶみすぼらしい。
 それに、手には頭巾らしき布切れが握られている。
 確かメイソンは頭巾など被らなかったはず。
 頭巾をかぶっていたのは……

「旦那様! この者、わずかに息があるようです! 体も温こうございます!」
 ハマー家の家人エグビンがそう言うと体をひっくり返し、仰向けにした。
 ウィゴットは、顔を見て思わず「ダーシー!!」と叫ぶ。
 メイソンと思われたのは、実は牛番のダーシーだったのだ。

■ブローチ
「かみさま!! なんてこと! いったいなぜ! なぜこんな! ひどい!!」
 突然背後から、女性の泣き叫ぶ声が聞こえた。
 振り返るとそこにいたのは、ダーシーの母親だ。
 彼女は、ウィゴットが取った頭巾を奪いとり、ダーシーに覆いかぶさって号泣しだした。
「この子が一体何をしたって言うのですか! こんな優しい……ってあれ?」
 覆いかぶさってみてまだ体が温かく、わずかだが息をして居る事に気づく母親。
「しっかりおしダーシー!! ほら! 息をして!」
 やや取り乱しつつ、彼の頬をはたきだした。
 ダーシーの息はとても浅く、血の気が引いた青い顔のままだ。
 エグビンが彼の体を起こして、井戸で組んだ水に浸した布切れで顔をぬぐうなどして介抱している。

 一方で、エドリックは改めて周囲を見回していた。
 ここにメイソンの痕跡は影も形もない。
 メイソンは一体どこへ? そしてなぜ牛番がここに?
 エドリックは考え込む。ふと焼け跡に光るものを見つけて、拾う。
 それは銀製の丸いブローチだった。

 そこに彫られたレリーフは、筋彫りが目立つよう筋彫りの背景が黒く細工されている。
 黒を背景に銀で描かれ物をよく見えるようにする技法だ。
 獣のような怪物のような良くわからないが、なんだか見覚えがあるものが彫られている。

 日にかざしてよく見ようとするエドリック。
 突然、背後から肩を叩かれ「ちょっと、あなた!」と小声で注意された。
 そこにいたのは、妻エドマだった。
 鮮やかな青いゆるめのチュニックを着た彼女の腹は大きく膨らみ、子を宿していることが一目でわかる。
 彼女は、腕組みをしてこう言った。
「まずは、けが人の手当てが先でしょ?」

■奥方
 エドリックがメイソンの行方について考えを巡らせる間に、散歩していたエドマが泣き叫ぶダーシーの母親に気づき、駆けつけてダーシーの手当てを手伝っていたのだった。
 一方のエドリックはというと、少し離れた所で何やらブローチを眺めて難しい顔で考えてばかりの様子だったため、呆れて注意したというわけだ。

 そんなわけでエドリック達は、ダーシーを荷車にのせ医師(リーチ)の元へと運びだした。

「それより、お前……こんなに動き回って本当に大丈夫なのか?」と、エドリックは一緒に歩く妊娠中の妻を心配する。
 エドマは、妊娠してからも朝の散歩を日課としていた。村中を回るらしく、結構な距離を毎日歩いている。
「だって! しっかり足腰鍛えておかないと丈夫な子を産めないって、お医者(リーチ)さまが!」と大きくなったお腹をさすりながら抗議するエドマ。

 しかしエドリックは、幼いころの彼女を思い出す。
 男たちと混ざって木登りや肝試しを嬉々として一緒にし、誰よりも足が速いほど足腰が丈夫で活発な子だったのだ。
「……うむ、足腰は大事だな」とエドリックはとくに反論せずに同意するのだった。

◆解説編
■10世紀の現場検証と裁判
 10世紀のイングランドには、現代のような科学的捜査手法もなく巨大な警察機構もありません。
 犯罪の証拠として指紋などを収集するのは、はるか後の19世紀以降です。
 また、犯罪などで受けた被害は、復讐など自助努力で何とかしないといけない部分もありました。

 では、法などなく力だけがものを言った時代だったかというとそうでもありません。
 当時は、民族の慣習をベースに「王の法典」と呼ばれる社会秩序維持目的の法律が作成されていました。
 裁判は集会などの形で開かれ、訴えや証言、王に任命された臨時調査人達の報告を元に、判決や紛争の調停などがされていました。
 裁判では、「主張の陳述」と「根拠の提示」が基本的な立証方法とされていました。
 何らかの被害にあった人が、犯人の目星をつけるために証拠となりそうなものを慎重に収集していたことは十分に考えられます。

■アングロ・サクソンのブローチ
 現代のブローチは、宝石や貴金属などで衣服を飾る目的でつけます。
 一方で、アングロ・サクソンの時代のブローチは宝飾品としての飾りと、服の留め具を兼ねた器具でした。
 5世紀から10世紀にかけて四角、弓、十字架、輪、円盤型、安全ピン型と様々な形状のブローチが流行しました。
 中でも円盤形のブローチは人気で、ケント地方を中心に6世紀から盛んに作成されていたようです。
 素材として金、銀、銅の他に、七宝焼き、ガラス、ガーネットなどの宝石が使われていました。
 また「ニエロ」という、黒地に浮き出た金属光沢を鮮明に見せる技法も使われました
 ニエロは、銀などの板への彫りこみに、硫黄、銅、銀、鉛を混合した漆黒の物質を流し込む技法です。
 9世紀~10世紀頃の独特な模様は「トレウィドル様式」と呼ばれます。動物や人物のレリーフが複雑に絡み合いシンメトリックに配置されています。物語に出てくる謎のブローチは、大英博物館所蔵の「フラーのブローチ」や「金のベルトバックル」をイメージしています。もしどのようなものかお知りになりたい場合は、参考文献のリンクから大英博物館のページにアクセスするか、検索されてみてください。

■妊娠関連の呪文詩
 呪文詩の中には、妊娠に関するものがあります。
 なかなか子ができない事や、流産などを解決する呪文であると推測されています。
 大きく3種類あり、いずれも妊娠中に実施する呪文と考えられています。
 内容は、様々な行為とセットで短い呪文を唱える構成になっています。

 例えば、埋葬された男性の墓地を踏みつけながら、「この行為は、憎むべき『遅いお産』の助けになる」と唱える内容です。

 または、流れる水に口に含んだ乳を吐き出して、さらに水をすくって飲み「丈夫な子を家に連れて帰りたい」といった内容の呪文を唱え、他人の家で食物を女性から与えてもらい食べるといった内容もあります。

 お産に関する悪い要因を遺体や川などに呪文で転移させるという魔術的技法が、いずれの呪文にも共通するようです。
 栄養学や医学が未熟な時代、お産も現代以上に大変だったと思われます。
 そのため、異教的な内容であっても、初期キリスト教ではある程度許容されてきた可能性があるようです。当時の苦労と願いが垣間見える呪文だと思います。

◆第6幕「ダーシー」
■道のり
 牛番のダーシーは、家人たちによって荷車に乗せられ教会へと向かっていった。
 荷車の後からエドリックとエドマが並んでついていく。
 エドリックは、エドマに尋ねる。
「このブローチなんだが、どこかで見覚えないか?」
 彼女は、レリーフの奇妙な怪物をしげしげと見ながら
「そうね……確かに見た事あるわね。どこで見たのかしら?」
 そういって眉間にしわを寄せ考える。

 道端の岩の上でコマドリが激しく甲高いさえずり声をあげている。
 どうやら遠くにいるらしいコマドリと鳴き比べをしているようだ。
 太陽は徐々に真上に登り、畑では農夫たちが作業の真っ最中だ。
 一仕事終えた農家の馬が、文字通り道草を食べている。

 首を振って思い出すのをあきらめた彼女は、すぐにこう続ける。
「でも、お父様に見せてみたら? あの方ならきっとわかるわよ」
 妻にそう言われると、本当にそんな気がしてくるから不思議だ。
「父の部屋にいってくる。ダーシーが目を覚ましたら使いをやってくれ。聞きたいことがある」
 そういってエドリックは、そのまま館にある父の部屋へと向かった。
 荷車とエドマ達は、そのままハードウルフがいる治療小屋へと向かった。

■治療小屋
 治療小屋の前には、現役を引退した老人たちが列を作り椅子や柵、樽などに腰掛け談笑していた。
 博愛の精神を持つ医師(リーチ)は、この村に赴任した時に、身分の差なく体に不調あればいつでも治療小屋を訪ねるよう村人に宣言した。
 以来、体の不調を訴える人、主に現役を引退した老人たちがいつでも小屋の前にたむろするようになったのだ。

 小屋の中ではハードウルフの呪文の詠唱が聞こえる。
 多くの老人たちの悩みの一つである、体の節々の痛みに対抗する呪文だ。
 低く張りがあり優しさのある声は、それだけで老婆達に人気だった。

「出でよ、小さき槍、この中にあるならば。
 我シナノキの盾の下に立ちて、輝ける盾の向こうにて、
 そこにて、かの猛き女子ら力を現し、
 叫び声挙げ槍は放ちたり。
 我この槍を送り返さん、
 飛び来る矢を彼女らの真正面より」*1

 小屋の中から聞こえる馴染みのある呪文に、一人の老婆が以前受けた治療の自慢話をはじめた。
「先生のな、あの呪文はな、痛みによく効くのよ。本当にあの先生の素敵な声はな」
 近くにいた友人と思しき老婆がやや茶化す感じで
「先生の声にかかれば、痛みの悪さをする『猛き女子』もあっという間に逃げ出すね!」
 もう一人の老婆が続けてこう答える。
「その代わり別の『猛き女子』がくるさね! わしらのような女子がな!!」
 そう言って3人は破顔して大声で笑いあう。

 そこにエドマとエグビン達がダーシーを乗せた荷車と共にやってくる。
 老婆達が我先にとエドマに挨拶してお腹の子の調子や体調を尋ねる。
 老婆たちの顔は、しわくちゃの笑顔で自分の娘や孫に接するようにとても親しげだ。
 エドマは挨拶を返しつつ、荷車を通すように皆に頼んだ。
 小屋の前にたむろしていた人々は速やかに道をあけ、エグビンがダーシーを荷車から降ろすのを手伝う者もいた。
 そして、心細そうについてきたダーシーの母親を慰めようと言葉をかける者、抱きしめる者、神に祈る者もいた。
 皆口々に言うのだ。
「お医者(リーチ)さまにみせれば、大丈夫だ」と。

~次回に続く~

 *1 呪文詩の訳文は、唐沢一友 (著)アングロ・サクソン文学史:韻文編 (横浜市立大学叢書―シーガルブックス, 東信社, 2004) より引用しています。

◆解説編
■突然の痛みへ対抗する呪文詩
 現代ではリウマチなどの「突然の痛み」の症状について、当時のイングランドでは超自然的存在が体内に持ち込んだ様々な武器が原因と考えられていたようです。

 対抗策として、当時の有名な医学書の一つ「ラクヌンガ」には痛みを抑える軟膏の作成方法と、呪文詩が記載されています。

 軟膏は、ナツシロギク、赤いセイヨウイラクサ、オオバコをバターの中で煮て作るよう書かれています。
 呪文詩は、痛みの原因となる超自然的存在に直接語りかけ、体内から出ていくような内容になっています。

 超自然的存在として様々なものが登場します。
 「猛き女子」は、体内に槍を持ち込む北欧神話の戦乙女ヴァルキリーや、大きな災いをもたらす謎の狩猟団「ワイルド・ハント」伝説に出てくる夜空を騒々しく渡る狩猟団メンバーなどと考えられていました。
 他にも、6人の鍛冶師が鍛えたナイフや死の槍を、魔女が鉄片を持ち込むという内容がみられ、呪文詩でそれらを追い出すよう訴えかけています。

■体を癒す様々な呪文詩
 体を癒す呪文詩には、他にも体にできたコブに対抗する呪文詩、みずぼうそうを癒す呪文詩、ドワーフに対抗する呪文詩などがあります。
 それらの呪文詩の内容は、エルフやドワーフなどアングロ・サクソンの古来の伝説の影響が見られる一方で、呪文の一部に聖人の名前が出たり、最後にアーメンでしめくくるなどキリスト教の影響も強く出ています。

 ここで言う「ドワーフ」や「エルフ」は、アングロ・サクソン人のルーツにあるゲルマン神話(北欧神話)に出てくる超自然的存在を意味します。
 現在のような、人間が接触可能なヒューマノイドとしてのイメージは、J.R.R.トールキンの小説「指輪物語」以降に広く流布したものと考えられています。

 コブに対抗する呪文は、コブ自体に小さくなって消え去るよう訴えます。
 かまどの焼けてちいさくなった石炭や、水たまりの水のように小さくなって消えるような内容です。

 みずぼうそうを癒す呪文詩の名前は、水エルフとなっています。
 おそらく当時は、水棲のエルフが原因と考えられていたのでしょう。
 呪文詩では、まずルピナス、ディル、コケモモ、ヨモギなど18種類の薬草をエールと聖水でまぜて薬を作るよう指示があります。
 次に、その薬を患部に塗りながら呪文を唱えるように書いてあります。
 内容は、いかに素晴らしい薬か「最高の戦友」と表現し、この薬がどのように症状を抑え治していくかを説明する内容です。

 ドワーフに対抗する呪文詩は、キリスト教の影響が一層色濃く見えます。
 この呪文詩では、睡眠中の発作や痙攣、悪夢がドワーフにとりつかれたことが原因と考え対抗する内容となっています。
 最初に「七人の眠り聖人」というキリスト教の伝説的な聖人の名前を7枚の薄く焼いたパンに書くよう指示があります。
 「七人の眠り聖人」とは、岩の中に閉じ込められ数百年後に目覚めたという伝説を持っています。
 眠りについての何らかの効力を期待して、呪文詩に登場するのかもしれません。
 その後、呪文により召喚された蜘蛛が耳から入りドワーフを体内から排除して病を癒すといった内容となっています。
 超自然的存在への対抗方法にも様々な方法があるようですね。

◇次回予告
 ハードウルフによって、いよいよ「九つの薬草の呪文詩」の力が発動する!
 次々と投入される薬草!やがて現れる古代の神々の力!
 昏睡中のダーシーは治療されるか?!
 中世ヨーロッパの生活呪文 第4回「九つの薬草の呪文詩」
 ご期待ください!

◆参考文献
唐沢一友(著)アングロ・サクソン文学史:韻文編 (横浜市立大学叢書―シーガルブックス, 東信社, 2004年)

吉見昭徳(著)古英語詩を読む ~ルーン詩からベーオウルフへ~(春風社,2008年)

ウェンディ・デイヴィス/編 鶴島博和/監訳 オックスフォード ブリテン諸島の歴史 3 ヴァイキングからノルマン人へ(慶應義塾大学出版会,2015年)

Merriam-Webster Encyclopædia Britannica 1911.Vol28.P523."WERMUND"
(カレル・フェリックス・フライエ)Karel Felix Fraaije, Magical Verse from Early Medieval England: The Metrical Charms in Context, English Department University College London,2021,Doctoral thesis (Ph.D)

森貴子(著)アングロ・サクソン期ウスター司教区の訴訟一覧(愛媛大学教育学部紀要,第67巻,213~225ページ,2020年)

森貴子(著)中世初期イングランドの紛争解決―Fonthill Letter を素材に(1)―(愛媛大学教育学部紀要,第63巻,275〜284ページ,2016年)

Decoding Anglo-Saxon art(アングロサクソン美術の解読)
https://www.britishmuseum.org/blog/decoding-anglo-saxon-art

The Fuller Brooch(フラーのブローチ)
https://www.britishmuseum.org/collection/object/H_1952-0404-1

belt-buckle (金のベルトバックル)
https://www.britishmuseum.org/collection/object/H_1939-1010-1

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