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  • 第5回「旅立ちの呪文詩」 | games

    ━━━━━━━━━━━━━━━━■□■ 中世ヨーロッパの生活呪文 (増補改訂版) 第1回 「中世イングランドの呪文詩」 テンプラソバ ━━━━━━━━━━━━━━━━■□■ ◇はじめに おはようございます! 中世ヨーロッパと西洋風ファンタジーが大好きなテンプラソバと申します。 これから中世ヨーロッパの生活に密着した呪文について、何回かに分けて紹介していきます。 これは、中世に書かれた医学書などに記載され現代まで伝わるもので、フィクションではなく実際に使われていた可能性が高い、「本物」の呪文です! 舞台は、中世前半のイングランドのとある田舎の領主が治める村です。 ちょっとしたドラマを挟みつつ、当時の状況を解説していきます。 (ドラマの方は、設定も含めて私がフィクションとして書いたものです) 今回は、呪文詩とは何かについて紹介しましょう! ◆第1幕「エドリック」 ■エドリックの憂鬱 エドリック・ハマーは、頭をかきながらため息をついた。 村の牛が、また居なくなったというのだ。 エドリックは、従者(セイン)である。 従者(セイン)とは、王に仕えハマートンというこの領地を代々守護する小領主である。 父ロドルフより、この領地と従者(セイン)の位を受け継ぎ5年がすぎた。 ようやく仕事に慣れてきた頃、村の宝といえる牛が立て続けにいなくなる事件が起きているのだ。 「牛すら逃げ出すハマートン」との不名誉なうわさが、流れでもしたら…… ■ことのあらまし そんなことを考えていたエドリックが、ふと我に返る。 彼は今自分の館で、牛の飼い主から事情を聴いているところだった。 牛の飼い主の名は、ウィゴットという。 彼は、物思いにふけっていたエドリックに「私はこれから……一体どうすれば?」と聞く。 エドリックが、話をまとめる。 「ウィゴットよ。 君の使用人が、牛の番を交代するほんのひと時の間に、牛1頭がいなくなった。 既に日はのぼり、朝したくの時間のため、番人以外で外に居たものはいなかった。 さりとて番人に、はかりごとで牛を隠す知恵も度胸も持ち合わせていない。 ただ牛が1頭いきなり消え、どこにも見つからない。 まとめると、そういう事に相違ないな?」 恐縮したウィゴットは、「そのとおりでございます。」と直立したまま両手を胸で握りつつ頭を下げる。 そばにいるウィゴットの従兄メイソンが、不安げなウィゴットに寄り添う。 朝方に牛の鼻息や鳴き声などを近所のメイソンが聴いており、居なくなったのは今朝で間違いないとのことだった。 ■頼るべき者 そこに家人のエグビンが、息を切らしながら走ってきた。 彼は10人ほどを指揮し牛の探索をしていたのだ。 エドリックは期待の目でみつめるが、エグビンは残念そうな顔でかぶりをふる。 そうするとエドリックの頭に、とある人物の顔が浮かぶ。 「今回も、ハードウルフの力を借りねばなるまい。」 そうしてエドリックは、ハードウルフのいる場所に向かうことにした。 彼は、キリスト教の司祭でありながら、古の呪文詩も使う不思議な老人なのだ…… ◆解説編1 ■中世イングランド 現在イギリスと呼ばれる国の本島グレート・ブリテン島は、北方のスコットランド、西方のウェールズ、そしてイングランドという3つの国で構成されています。 今回のシリーズ「中世ヨーロッパの生活呪文」の舞台は、中世のイングランドです。 中世のイングランドは、10世紀頃まではアングロ・サクソン人と呼ばれる人々の、多数の王国がひしめく「七王国」と呼ばれる時代でした。 七王国間で争いつつ、ヴァイキングや大陸の様々な侵入者達との戦いが続く中で、ようやく「イングランド王国」という形でまとまろうとしていました。 ■従士(セイン)とは? 従士(セイン)はこのような状況で生まれた「戦う社会階層」で、軍事と地域統治で活躍しました。 七王国の諸王やイングランドの王は、自治と保護を名目に家臣の従士(セイン)に土地を分け与え、従士(セイン)の家の名から土地の名前をつけました。 例えば「ウルフリック家の領地」は「ウラートン」、「ハマー家の所領」は「ハマートン」といった要領で、領地の名前がそれぞれ決まっていったのです。 ■とても大事な財産「牛」 当時の固い土地を耕し麦を植えるには、土を深く切り裂くのに十分な重さのある大きな道具「鋤(すき)」を利用していました。 丈夫な木製の腕の先に金属の歯をつけ、車輪で転がしつつ土を切り裂きやわらかい畝(うね)を作ります。 その重さはとても人間が引けるものではなく、力のある牛や馬などを利用していました。 現代のトラクターのような存在かもしれません。 牛は、労働力になる一方で、食肉にもなる貴重な財産でした。 ■キリスト教と古の伝統 当時キリスト教の布教はある程度進んでいましたが、社会を規制するまでの大きな力はまだ持っていませんでした。 そのため、アングロ・サクソン人の古い伝統も、数多く残ってました。 彼らのルーツである、ゲルマン人の伝承とオーディンやトールなど神々の伝説、魔術などが社会の中で息づいていたのです。 ■呪文詩 当時は、病気やケガ、災いなどは、悪い超自然的存在が起こすと考えられていました。 そのため、薬草や薬、そして呪文が、悪しきものへの対抗手段となる事が多かったようです。 それらの呪文は、古代の伝統にのっとり韻を踏む形で書かれていることから「呪文詩」と呼ばれています。 ◆第2幕「ハードウルフ」 ■司祭にして医師(リーチ) エドリックは、ハマー家の館を出て教会に向かった。 教会の裏手の薬草園で、ハードウルフは作業中だった。 生垣の野バラが咲き誇り園内に甘い香りを放つ中、エドリックはハードウルフに挨拶をした。 「司祭殿、力を借りに来た。」 庭園整備用の粗末な僧衣を着た老人が立ち上がり、挨拶を返す。 僧衣のフードを外すと、中から長い銀髪が印象的な壮年の男性の顔が出てきた。 「エドリックさま、医師(リーチ)と呼んでくだされといつも申していますのに。」 そう不満をもらすものの、表情はやさしい笑顔だ。 「司祭殿には違いないからな」と言いつつ、エドリックはさっそくハードウルフに相談を始めた。 簡潔に「事件」の状況を述べたあと助力を依頼する。 「そこでハードウルフよ。頼みがあるのだが。例のあの……」 エドリックが言いよどむと、ハードウルフが後を続ける。 「例の『牛を探す』呪文詩を使えと、そうおっしゃりたいのですな。」 「そうだ……やってくれるな?」 顎髭をさすりながら思案しつつ、ハードウルフは答える。 「ウィゴットの牛は前にも迷子になりましたな。 呪文詩は、その時に1度使いました。」 「1度使うともう使えないのか?」 「そうではありませんが、同じ事を繰り返す事が果たして良いのか。 できれば根本的な解決をし、二度と同じ困りごとが起きぬようにしたいのです。 そこでより強力な呪文詩を施したいのですが、それがちょっと……」 「ちょっと?」 ■リーチ・ブック 「まあ、お見せした方が早いでしょう。」 そう言ってハードウルフは教会の近くに建てられた木造の小屋に案内する。 そこは患者を治療し、数々の薬物を研究する場所でもある。 扉を開けると、天井から吊るされたさまざまな色彩の薬草がひしめきあい、部屋に入るには屈む必要があった。 いくつかある作業台には、乳鉢やおろし器、薬草の煮出しに使う鍋などがある。 部屋の空気には薬草や薬品のあらゆるにおいがまざり、エドリックはむせそうになった。 奥の方の作業台には、たくさんの写本が広げられている。 ハードウルフはその写本にエドリックを案内した。 「これらが、我が秘伝の書の数々ですぞ。 あらゆる病や怪我を治す方法と、色んな事に効くまじないが載っています。」 その中から、1冊の写本を取り出した。 ■牛の守護者 「実は『いなくなった牛を探す呪文詩』は全部で三種類あります。 いずれも、盗まれたものを探す内容となっています。」 そういってハードウルフは、写本のページをめくる。 「問題なのは、2つ目の呪文のこの箇所です。」 ハードウルフは、ある個所を指差しつつ「ガールムンド」と書いてあると述べた。 エドリックは、首をかしげる。 「ガールムンド?」 「さよう『ガールムンド』です。 彼は、牛の守護者とされている、力ある者です。 2番目の呪文詩はこの者の力を借りることで、より強力になります。 さらに、盗人に災いをもたらす力がございます。 もし盗人がこの村の者の場合、すなわちこの村にも災いが起きる事となりますが、それでもよろしいですか?」 エドリックは即答できず考え込んだ。 ~次回に続く~ ◆解説編2 ■医者(リーチ)とは この時代、医者はリーチと呼ばれていました。 医者と言っても現代のように患者の治療に専任することはなく、修道士など聖職者と兼任することがほとんどでした。 聖職者であることから、病やケガのみならず、信者のあらゆる相談ごとにも対応していました。 相談内容は、もめごとや飢饉、心の相談、冠婚葬祭などなど多彩です。 当時は、キリスト教と古代の神々の伝承が同居する時代であり、民族のルーツに深くかかわるアングロ・サクソンの神々、英雄、そして呪文詩などに聖職者が言及する事は必然だったと考えられます。 当時のキリスト教は、その地域ごとに独自に宗教を広め管理していたため、後年より緩い時代でした。 ■医者と蛭(ヒル)の意味を持つリーチ リーチの綴りは”Leech”です。 英語に詳しい方は、血を吸う生物「蛭(ヒル)」の意味であるとご存じでしょう。 実は、”Leech”の蛭という意味は、11世紀以降に使われていた中世の英語*1から発生しているようです。 10世紀頃は、主に医者という意味で使われていたようです。 *1 中世の英語 現代の英語は、西暦1500年頃からのものです。 それ以前は中世の英語が使われていました。 中世の英語には大きく二種類あり、西暦500年から1050年頃まで利用されていた「古英語」と西暦1050年から1500年頃まで利用されていた「中英語」となります。 ■中世前半のイングランドの医学 中世の医学といえば、瀉血(しゃけつ)という血を抜く行為が多かったようです。 しかし、瀉血が盛んになったのは、アラビア医学の書物が盛んに翻訳されだした11世紀以降と考えられます。(リーチに蛭という意味が発生したのと似た時期と思われます) 10世紀以前のイングランドの医学では、体内の悪しき者を体外に追い出すため、薬草などから内服薬や軟膏を作って処方したり、時には呪文詩を使うこともあったようです。 医者の数も少なく、医療は基本的に高価であり、何か大けがや病にかかった時は死を意識するような時代でした。 ■12の呪文詩 当時の本は、作るのも大変でとても高価でした。 9世紀頃、アルフレッド大王という王が、文芸復興の施策として大陸から様々な学者を呼び、様々な書籍を英語に訳したり、編纂するといった偉業を成し遂げています。 その影響により作成された本の一つに「いなくなった牛のための呪文詩」が記載されています。 「ラクヌンガ」「ボールドのリーチブック」という当時の有名な医療系写本をはじめ、複数の写本に合わせて12の呪文詩が記載され、今日まで残っています。 12の呪文詩は、薬草の力増幅、痛みや様々な病への対抗、出産促進など医療に関するものが多いです。 また物語に登場する牛を捜索する呪文詩の他に、蜜蜂を定着させる、畑の地力を回復する、旅の安全を祈るなど、医療以外の様々な生活の悩みに対応した呪文詩がみられます。 他の呪文詩については、後の機会にてご紹介いたします。 ◇次回予告 リスクと天秤にかけ決断するエドリック 第2の呪文詩の儀式を進めるハードウルフ ガールムンドの力とその正体とは?! 中世ヨーロッパの生活呪文 第2回「いなくなった牛を探す呪文詩」 ご期待ください! ◆参考文献 唐沢一友(著)アングロ・サクソン文学史:韻文編 (横浜市立大学叢書―シーガルブックス, 東信社, 2004年) 吉見昭徳(著)古英語詩を読む ~ルーン詩からベーオウルフへ~(春風社,2008年) ウェンディ・デイヴィス/編 鶴島博和/監訳 オックスフォード ブリテン諸島の歴史 3 ヴァイキングからノルマン人へ(慶應義塾大学出版会,2015年)

  • 第6回「蜂の群れへの呪文詩」 | games

    ━━━━━━━━━━━━━━━━■□■ 中世ヨーロッパの生活呪文 (増補改訂版) 第1回 「中世イングランドの呪文詩」 テンプラソバ ━━━━━━━━━━━━━━━━■□■ ◇はじめに おはようございます! 中世ヨーロッパと西洋風ファンタジーが大好きなテンプラソバと申します。 これから中世ヨーロッパの生活に密着した呪文について、何回かに分けて紹介していきます。 これは、中世に書かれた医学書などに記載され現代まで伝わるもので、フィクションではなく実際に使われていた可能性が高い、「本物」の呪文です! 舞台は、中世前半のイングランドのとある田舎の領主が治める村です。 ちょっとしたドラマを挟みつつ、当時の状況を解説していきます。 (ドラマの方は、設定も含めて私がフィクションとして書いたものです) 今回は、呪文詩とは何かについて紹介しましょう! ◆第1幕「エドリック」 ■エドリックの憂鬱 エドリック・ハマーは、頭をかきながらため息をついた。 村の牛が、また居なくなったというのだ。 エドリックは、従者(セイン)である。 従者(セイン)とは、王に仕えハマートンというこの領地を代々守護する小領主である。 父ロドルフより、この領地と従者(セイン)の位を受け継ぎ5年がすぎた。 ようやく仕事に慣れてきた頃、村の宝といえる牛が立て続けにいなくなる事件が起きているのだ。 「牛すら逃げ出すハマートン」との不名誉なうわさが、流れでもしたら…… ■ことのあらまし そんなことを考えていたエドリックが、ふと我に返る。 彼は今自分の館で、牛の飼い主から事情を聴いているところだった。 牛の飼い主の名は、ウィゴットという。 彼は、物思いにふけっていたエドリックに「私はこれから……一体どうすれば?」と聞く。 エドリックが、話をまとめる。 「ウィゴットよ。 君の使用人が、牛の番を交代するほんのひと時の間に、牛1頭がいなくなった。 既に日はのぼり、朝したくの時間のため、番人以外で外に居たものはいなかった。 さりとて番人に、はかりごとで牛を隠す知恵も度胸も持ち合わせていない。 ただ牛が1頭いきなり消え、どこにも見つからない。 まとめると、そういう事に相違ないな?」 恐縮したウィゴットは、「そのとおりでございます。」と直立したまま両手を胸で握りつつ頭を下げる。 そばにいるウィゴットの従兄メイソンが、不安げなウィゴットに寄り添う。 朝方に牛の鼻息や鳴き声などを近所のメイソンが聴いており、居なくなったのは今朝で間違いないとのことだった。 ■頼るべき者 そこに家人のエグビンが、息を切らしながら走ってきた。 彼は10人ほどを指揮し牛の探索をしていたのだ。 エドリックは期待の目でみつめるが、エグビンは残念そうな顔でかぶりをふる。 そうするとエドリックの頭に、とある人物の顔が浮かぶ。 「今回も、ハードウルフの力を借りねばなるまい。」 そうしてエドリックは、ハードウルフのいる場所に向かうことにした。 彼は、キリスト教の司祭でありながら、古の呪文詩も使う不思議な老人なのだ…… ◆解説編1 ■中世イングランド 現在イギリスと呼ばれる国の本島グレート・ブリテン島は、北方のスコットランド、西方のウェールズ、そしてイングランドという3つの国で構成されています。 今回のシリーズ「中世ヨーロッパの生活呪文」の舞台は、中世のイングランドです。 中世のイングランドは、10世紀頃まではアングロ・サクソン人と呼ばれる人々の、多数の王国がひしめく「七王国」と呼ばれる時代でした。 七王国間で争いつつ、ヴァイキングや大陸の様々な侵入者達との戦いが続く中で、ようやく「イングランド王国」という形でまとまろうとしていました。 ■従士(セイン)とは? 従士(セイン)はこのような状況で生まれた「戦う社会階層」で、軍事と地域統治で活躍しました。 七王国の諸王やイングランドの王は、自治と保護を名目に家臣の従士(セイン)に土地を分け与え、従士(セイン)の家の名から土地の名前をつけました。 例えば「ウルフリック家の領地」は「ウラートン」、「ハマー家の所領」は「ハマートン」といった要領で、領地の名前がそれぞれ決まっていったのです。 ■とても大事な財産「牛」 当時の固い土地を耕し麦を植えるには、土を深く切り裂くのに十分な重さのある大きな道具「鋤(すき)」を利用していました。 丈夫な木製の腕の先に金属の歯をつけ、車輪で転がしつつ土を切り裂きやわらかい畝(うね)を作ります。 その重さはとても人間が引けるものではなく、力のある牛や馬などを利用していました。 現代のトラクターのような存在かもしれません。 牛は、労働力になる一方で、食肉にもなる貴重な財産でした。 ■キリスト教と古の伝統 当時キリスト教の布教はある程度進んでいましたが、社会を規制するまでの大きな力はまだ持っていませんでした。 そのため、アングロ・サクソン人の古い伝統も、数多く残ってました。 彼らのルーツである、ゲルマン人の伝承とオーディンやトールなど神々の伝説、魔術などが社会の中で息づいていたのです。 ■呪文詩 当時は、病気やケガ、災いなどは、悪い超自然的存在が起こすと考えられていました。 そのため、薬草や薬、そして呪文が、悪しきものへの対抗手段となる事が多かったようです。 それらの呪文は、古代の伝統にのっとり韻を踏む形で書かれていることから「呪文詩」と呼ばれています。 ◆第2幕「ハードウルフ」 ■司祭にして医師(リーチ) エドリックは、ハマー家の館を出て教会に向かった。 教会の裏手の薬草園で、ハードウルフは作業中だった。 生垣の野バラが咲き誇り園内に甘い香りを放つ中、エドリックはハードウルフに挨拶をした。 「司祭殿、力を借りに来た。」 庭園整備用の粗末な僧衣を着た老人が立ち上がり、挨拶を返す。 僧衣のフードを外すと、中から長い銀髪が印象的な壮年の男性の顔が出てきた。 「エドリックさま、医師(リーチ)と呼んでくだされといつも申していますのに。」 そう不満をもらすものの、表情はやさしい笑顔だ。 「司祭殿には違いないからな」と言いつつ、エドリックはさっそくハードウルフに相談を始めた。 簡潔に「事件」の状況を述べたあと助力を依頼する。 「そこでハードウルフよ。頼みがあるのだが。例のあの……」 エドリックが言いよどむと、ハードウルフが後を続ける。 「例の『牛を探す』呪文詩を使えと、そうおっしゃりたいのですな。」 「そうだ……やってくれるな?」 顎髭をさすりながら思案しつつ、ハードウルフは答える。 「ウィゴットの牛は前にも迷子になりましたな。 呪文詩は、その時に1度使いました。」 「1度使うともう使えないのか?」 「そうではありませんが、同じ事を繰り返す事が果たして良いのか。 できれば根本的な解決をし、二度と同じ困りごとが起きぬようにしたいのです。 そこでより強力な呪文詩を施したいのですが、それがちょっと……」 「ちょっと?」 ■リーチ・ブック 「まあ、お見せした方が早いでしょう。」 そう言ってハードウルフは教会の近くに建てられた木造の小屋に案内する。 そこは患者を治療し、数々の薬物を研究する場所でもある。 扉を開けると、天井から吊るされたさまざまな色彩の薬草がひしめきあい、部屋に入るには屈む必要があった。 いくつかある作業台には、乳鉢やおろし器、薬草の煮出しに使う鍋などがある。 部屋の空気には薬草や薬品のあらゆるにおいがまざり、エドリックはむせそうになった。 奥の方の作業台には、たくさんの写本が広げられている。 ハードウルフはその写本にエドリックを案内した。 「これらが、我が秘伝の書の数々ですぞ。 あらゆる病や怪我を治す方法と、色んな事に効くまじないが載っています。」 その中から、1冊の写本を取り出した。 ■牛の守護者 「実は『いなくなった牛を探す呪文詩』は全部で三種類あります。 いずれも、盗まれたものを探す内容となっています。」 そういってハードウルフは、写本のページをめくる。 「問題なのは、2つ目の呪文のこの箇所です。」 ハードウルフは、ある個所を指差しつつ「ガールムンド」と書いてあると述べた。 エドリックは、首をかしげる。 「ガールムンド?」 「さよう『ガールムンド』です。 彼は、牛の守護者とされている、力ある者です。 2番目の呪文詩はこの者の力を借りることで、より強力になります。 さらに、盗人に災いをもたらす力がございます。 もし盗人がこの村の者の場合、すなわちこの村にも災いが起きる事となりますが、それでもよろしいですか?」 エドリックは即答できず考え込んだ。 ~次回に続く~ ◆解説編2 ■医者(リーチ)とは この時代、医者はリーチと呼ばれていました。 医者と言っても現代のように患者の治療に専任することはなく、修道士など聖職者と兼任することがほとんどでした。 聖職者であることから、病やケガのみならず、信者のあらゆる相談ごとにも対応していました。 相談内容は、もめごとや飢饉、心の相談、冠婚葬祭などなど多彩です。 当時は、キリスト教と古代の神々の伝承が同居する時代であり、民族のルーツに深くかかわるアングロ・サクソンの神々、英雄、そして呪文詩などに聖職者が言及する事は必然だったと考えられます。 当時のキリスト教は、その地域ごとに独自に宗教を広め管理していたため、後年より緩い時代でした。 ■医者と蛭(ヒル)の意味を持つリーチ リーチの綴りは”Leech”です。 英語に詳しい方は、血を吸う生物「蛭(ヒル)」の意味であるとご存じでしょう。 実は、”Leech”の蛭という意味は、11世紀以降に使われていた中世の英語*1から発生しているようです。 10世紀頃は、主に医者という意味で使われていたようです。 *1 中世の英語 現代の英語は、西暦1500年頃からのものです。 それ以前は中世の英語が使われていました。 中世の英語には大きく二種類あり、西暦500年から1050年頃まで利用されていた「古英語」と西暦1050年から1500年頃まで利用されていた「中英語」となります。 ■中世前半のイングランドの医学 中世の医学といえば、瀉血(しゃけつ)という血を抜く行為が多かったようです。 しかし、瀉血が盛んになったのは、アラビア医学の書物が盛んに翻訳されだした11世紀以降と考えられます。(リーチに蛭という意味が発生したのと似た時期と思われます) 10世紀以前のイングランドの医学では、体内の悪しき者を体外に追い出すため、薬草などから内服薬や軟膏を作って処方したり、時には呪文詩を使うこともあったようです。 医者の数も少なく、医療は基本的に高価であり、何か大けがや病にかかった時は死を意識するような時代でした。 ■12の呪文詩 当時の本は、作るのも大変でとても高価でした。 9世紀頃、アルフレッド大王という王が、文芸復興の施策として大陸から様々な学者を呼び、様々な書籍を英語に訳したり、編纂するといった偉業を成し遂げています。 その影響により作成された本の一つに「いなくなった牛のための呪文詩」が記載されています。 「ラクヌンガ」「ボールドのリーチブック」という当時の有名な医療系写本をはじめ、複数の写本に合わせて12の呪文詩が記載され、今日まで残っています。 12の呪文詩は、薬草の力増幅、痛みや様々な病への対抗、出産促進など医療に関するものが多いです。 また物語に登場する牛を捜索する呪文詩の他に、蜜蜂を定着させる、畑の地力を回復する、旅の安全を祈るなど、医療以外の様々な生活の悩みに対応した呪文詩がみられます。 他の呪文詩については、後の機会にてご紹介いたします。 ◇次回予告 リスクと天秤にかけ決断するエドリック 第2の呪文詩の儀式を進めるハードウルフ ガールムンドの力とその正体とは?! 中世ヨーロッパの生活呪文 第2回「いなくなった牛を探す呪文詩」 ご期待ください! ◆参考文献 唐沢一友(著)アングロ・サクソン文学史:韻文編 (横浜市立大学叢書―シーガルブックス, 東信社, 2004年) 吉見昭徳(著)古英語詩を読む ~ルーン詩からベーオウルフへ~(春風社,2008年) ウェンディ・デイヴィス/編 鶴島博和/監訳 オックスフォード ブリテン諸島の歴史 3 ヴァイキングからノルマン人へ(慶應義塾大学出版会,2015年)

  • 天蕎麦工房-TENSOBA WORKSHOP

    更新情報 2016/06/06 開設​​ 2016/06/17 コンテンツ更新 2016/06/25 1ページTRPG温泉TRPG追加 2018/10/28 1ページTRPGコンテスト出品作品情報追加

  • 折本魔道書デュエリスト

    折本魔道書 Duelist(デュエリスト) 折本を使った対戦ゲームです。印刷後、背表紙の通りに作ると手のひらサイズの「折本魔道書」が完成します。 これを手にした時から、あなたは魔道士デュエリスト!対戦相手を見つけ元素を組合せて戦い、究極の勝利をつかみましょう! ​ ​(画像クリックでダウンロード) こちらが完成見本図です。

  • プレイエイド:ショコラティエは名探偵? | games

    ショコラティエは名探偵 ゲームマスター​プレイエイド ◆依頼人と思い人の設定 ゲームの準備の依頼人と思い人の設定は、参加者のリクエストを聞いたり相談しながら決めても楽しく円滑に遊べると思います。 ◆好み調査フェイズ 好み調査フェイズは情景描写、行動描写を必要とするので少々難しいかもしれません。 ​ 状況の詳しい説明が浮かばない場合、サイコロで出た状況を読み上げそのままサイコロをふらせてヒントワードを獲得したか判定してゲームを進めても大丈夫です。 ​ ◆ヒントワード:甘さレベルの伝え方 甘口ならば別の甘いものが好き(例えばマシュマロ、コーヒーに砂糖山盛り)。 ​ 辛口ならば苦いもの好き(例えばコーヒーはブラック、ゴーヤ・ピーマン生噛り)。​

  • 作品世界1:ブリオージュ | games

    ブリオージュ 中世ヨーロッパ風の異世界ブリオージュ。 豊かな自然と様々な国々、不思議な生き物達が住む世界。この世界のある地方には、パンにうるさい王様が住む王国があり、その北にショコラティエ探偵達が住むチョコ色レンガの街があり、南の穏やかな内海には漁師と不思議な力を持つネコ達が共存する漁師料理店が多い島があります。 ​ 人間以外にも、妖精族や人獣族、魔物族等様々な人種と共存しています。また他の世界からの訪問者もしょうっちゅういるとか。 ​ 現在までこの世界をテーマにした1ページTRPGが4作品ございます。右のボタンから各ページへ案内いたします。 ブーランジェリは大忙し ショコラティエは名探偵? ペスカトーレはネコの島 サングリアは七つのいろどり 村のはずれの魔女さん家 こちらの背景世界はあくまで参考、フレーバー程度にお考え下さい。どうか、自分の親しんだ世界やキャラに置き換えて遊んでくださいませ。

  • 第4回「九つの薬草の呪文詩」 | games

    ━━━━━━━━━━━━━━━━■□■ 中世ヨーロッパの生活呪文 (増補改訂版) 第4回 「九つの薬草の呪文詩」 テンプラソバ ━━━━━━━━━━━━━━━━■□■ ◇はじめに おはようございます! 中世ヨーロッパと西洋風ファンタジーが大好きなテンプラソバです。 中世ヨーロッパの生活に密着した呪文についてのコラム第4回「九つの薬草の呪文詩」を始めます。 今回は、人の体を癒す究極の呪文詩「九つの薬草の呪文詩」を紹介します! 紹介する呪文は、中世に書かれた医学書などに記載され現代まで伝わるもので、フィクションではなく実際に使われていた可能性が高い、ある意味「本物」の呪文です! (ドラマの方は、設定も含めて私がフィクションとして書いたものです) ■ドラマパート前回のあらすじ 10世紀、中世イングランドのとある地方「ハマートン」にて、牛泥棒事件が発生した。 領主のエドリック・ハマーは、不思議な力を持つ医師のハードウルフに呪文詩によって、貴重な牛を探すよう助力を求めた。 ハードウルフの呪文の効果で、容疑者メイソンは逮捕される! しかし、犯人を捕らえていた小屋が夜半に火事に! 更に、焼けたあとには、メイソンではなく牛番のダーシーが昏睡していた! そして、怪しげな銀のブローチも見つかる。 一行は、ハードウルフの治療小屋に、ダーシーを治療すべく運び込んだのだった! ■登場人物 エドリック・ハマー:ハマートンの領主 ハードウルフ:ハマートンの司祭にして医師(リーチ) エドマ:エドリックの妻。妊娠中で、とても快活で活動的。 エグビン:ハマー家の家人で、エドリックが信を置く者 イーナ:ハードウルフを手伝う治療院の従業員の少女 ウィゴット:牛泥棒の被害にあった農場主 メイソン:ウィゴットの従兄。牛泥棒の犯人だが、火事に乗じて姿を消す。 ダーシー:ウィゴットの牛番。 ダーシーの母:息子の治療を共に手伝う。息子への情が深い ◆第7幕「治療小屋」 ■喧騒 治療小屋の中は満員だった。 椅子に座って膝の痛みの治療を、ハードウルフから受けていた老婆。 治療にあたるハードウルフとその手伝いをする少年と少女。そこに運び込まれたダーシー、その母親、エグビン達家人が3人に、エドマ。 そして様子を見ようと老人たち十数人も無理やり小屋に入ろうと詰め掛けている。 ダーシーの容態を話すようせっついたり、しっかり治してほしいと頼んだりなど様々な声があちこちから聞こえ混沌とした小屋の中で、ハードウルフが良く通る声をあげる。 「おしずかに!!」 一瞬喧騒がぴたりと止まる。ハードウルフは間髪いれず続ける。 「みなさん、どうかおしずかに! これからまず、ダーシーの手当てをします。 命が危ないものが最優先といつもいっていますな? どうぞわが治療にご協力を!」 そういって、手伝いをしている少年に薬湯や湿布が入った桶ごと持たせ、外でしかるべき症状の患者にしかるべき簡単な処置をするよう指示をして、野次馬達を外に速やかに追い出した。 エドマもそれを手伝うと言ってついていく。 「ご婦人、申し訳ないが、こうなってしまった以上治療の続きはまたにしてかまいませんか?」 ハードウルフが治療中の老婆に愛想よくそうたずねると、治療中だった老婆は笑顔でうなずきつつかまわないと返答した。そして、他の者に手をとってもらいつつ群衆と一緒に外に出ていくのだった。 ■診察 小屋の中には、ハードウルフ、ダーシー、ダーシーの母親、手伝いの少女の4人だけとなった。 ハードウルフは、ダーシーの母親に診察と治療を手伝ってもらうよう頼む。 ダーシーの衣服を速やかに剥いで、貴重なろうそくに火をつけ、瞳の様子や体の状態をくまなく観察するハードウルフ。 幸い火傷はなく、外傷らしきものも見られない。 火事などで発生する「命を奪う瘴気」を吸い込み過ぎた時に見られる、顔の赤みもない。 弱くはあるが呼吸は正常だ。 そしてこの衰弱した様子は、何らかの毒を飲まされた可能性があると、ハードウルフは考えた。 ダーシーの口にこびりついた何かの液を、木の細い棒で慎重にこそぎ取り色をよく観察する。 目や口の腫れは何かの薬物によるものとおもわれる、それに対抗するには…… 「マッグウィルト、スチューン、それにアトルラーゼ、すべて必要になるな……」 そうつぶやくと、羊皮紙の本を素早くめくりだす。 そうして手が止まったページにはこう書かれていた。 「九つの薬草の呪文詩」と。 ◆解説編 ■イギリス初期医療に用いられた呪文の分類 一口に治癒の呪文と言っても、当時考えられていた原因に対して語りかけたり、治癒の助けとなる薬などを鼓舞したり様々な内容があります。 このような様々な当時の医療呪文について、ペイン(J.F.Payne)という研究者が作成した以下の6つの分類があります。 またこれらの分類について、分かりやすいよう「〇〇の呪文」というタイトルを私の方でつけています。 1.「準備の呪文」 薬草の採取と準備の際に唱える呪文 2.「守護の呪文」 患者に対する祈祷、お守り、魔よけとして身に着けたり、身体の一部に描いたり、唱える呪文 3.「悪霊退散の呪文」 悪霊を追い払う呪文 4.「追体験の呪文」 患者と同じ病気を患った伝説上の人物についての話を盛り込んだ呪文 5.「神聖化の呪文」 植物、動物、鉱物などを、神聖なもの、祈祷の対象とする呪文 6.「移植の呪文」 動物、物質、流水などに、患者の病気を何らかの儀式を通じて移植させる呪文 この分類に従うと、前回紹介した様々な治癒の呪文詩がどのような内容なのか、より理解できます。 第3回で紹介した突然の痛みに対抗する呪文やコブに対抗する呪文は症状に直接語りかけるので「悪霊退散の呪文」と考えられます。 また、みずぼうそうを治癒する呪文は、薬がどれだけ素晴らしくどのように働くか説明する内容があるので「神聖化の呪文」と考えられるでしょう。 また、薬のレシピが書いてある部分は「準備の呪文」とも言えそうです。 それでは、九つの薬草の呪文はどのような分類に該当するでしょうか? 次の解説をお読みください。 その前に、ドラマの第二幕です。 ◆第8幕「ウォーデン」 ■準備 「イーナ! 今から言う薬草を中央の作業台に持ってきてくれ!」 「はい、先生!」 イーナはハードウルフを手伝う少女の名前だ。 呪文詩が記載された本を片手にハードウルフは、次々に薬草名を読み上げ少女に指示を伝えだした。 部屋の中は、天井や机、床は、束にした薬草の乾燥させたもの、摘んでからあまり日がたってないものなど所せましと置いてあり、少女は言われた薬草を迷うことなく次々と取り上げ、カゴにいれていく。 薬草についての指示が終わると、ハードウルフは今度はダーシーの母親に声をかける。ダーシーの服を完全に脱がして、水で体を清めるようにと。 ダーシーの母親は、自分よりも一回りも成長した息子の服を手早く剥ぎ取り、水で濡らした布を固くしぼり息子の体をふいていく。 一方ハードウルフは、戸棚から封をした陶器の容器をいくつか取り出し、机に並べだした。 容器の中身は、香油である。 それからハードウルフは、大きな臼とつぶし機を机の中央に設置した。 指示された薬草を取り終えた少女がカゴをハードウルフの脇に置く。 「ありがとう、イーナ。火も頼む」 そういってハードウルフは、カゴの中の薬草を選別しだした。 少女も心得たもので、薬草を煮るための鍋をかけているかまどに火をいれるべくたき木やマキをくべだした。 ハードウルフは選定した薬草を一つとりあげ、目をとじたままおもむろに呪文詩の詠唱をはじめた。 薬草にかたりかけるようにささやくように唱える。 「マッグウィルトよ、 レーイェンメルデで 汝は何を除き、何を整えたか 思いおこせ。 汝は世でもっとも古い薬草、ウーナとよばれた。 汝は三と三十の悪霊にも勝り 汝は毒にもまた疫病にも勝り、 汝は国中を脅かす禍難に勝る」*1 呪文詩の詠唱が終わると「マッグウィルト」を臼に入れ、次に別の薬草を取り上げ、同じように詠唱しだした。 「そして汝(なんじ)ウァイブラード 諸々の薬草の母よ。 明白に東方より伝来し、内には頼もしきものよ。 汝の上で荷車が軋み、汝の上を王妃が駿馬で駆け、 汝の上で花嫁が泣き、汝の上で牡牛が鼻を鳴らす。 でも汝は万難にめげずに対し、 汝は病毒も伝染病も、それに 国中に蔓延る禍難にも抗する」*1 詠唱が終わると「ウァイブラード」を臼に入れ、次の薬草の呪文詩の詠唱にとりかかる。 そして、スチューン、スティゼ、アトルラーゼ、マイズ、ウェルグル、フレイ、フレイヌルと合わせて七つの薬草も臼に入れていく。 呪文詩の内容は、どのような土地でどのような病魔、毒を体から追い出し国を救ったか、古き天上の神々が、いかにして苦難の果てに知恵を得て、薬草を見つけ人類を救済したか、など。 まるで神々に見出された英雄たちの戦いの系譜を告げるような内容であった。 九つの薬草が入った臼をつぶし器でつぶす間も、二度三度と同じ呪文をハードウルフはくりかえす。 その眼に霊妙な光を宿しつつ一心不乱に薬草を砕いた。 ■「この毒を私が除去しよう」 砕かれた九つの薬草は汁ごと鍋に入れられ、東方伝来の香油と一緒に煮込まれた。 並行して助手の少女が水、灰、卵白を混ぜ合わせて作った下地に、煮詰めた九つの薬草を注ぎ混ぜ合わせて軟膏を作っていく。 そして布に均等に塗り湿布を手早くつくっていく。 湿布を手にしたハードウルフは、ダーシーに近づく。 ダーシーの母親の目には、鍋からでてきた煙や湯気が部屋に充満し、不思議な模様を形づくるように見えた。 ダーシーを見据えたハードウルフは、呪文詩の続きを詠唱しだした。 「この九種の薬草は九種の病毒に効く。 忍んで毒蛇がやって来て、それは人に噛みついた。 やがてウォーデン九本の栄光の枝を持って来て、 その毒蛇を打ちまくりその身は九個に裂けたとさ。 もう蛇がけして奥深くへ入らぬように 毒とアッペルをそこに備え置いた」*1 古代の神々の主「ウォーデン」がいかにして病毒を打ち払うか唱えた瞬間、部屋に充満する煙が何か人のような形にまとまっていく。 ハードウルフは、湿布をダーシーの額に、胸に、腹に貼り付けながら、呪文詩をしめくくる。 「あの九匹の毒蛇の住む渓流を 知っているのは ただ私だけ 今や、すべての草は薬草より生まれ 大洋のすべての塩水をも分解し得る。 故に汝よこの毒を私が除去しよう」*1 人の形にまとまりはじめたもやは、枝のようなものを伸ばしてダーシーの体を包んでいく。 こころなしか、ダーシーの苦悶の表情が安らいできたようにも見える。 霊験あらたかなる何かを見た気がしたダーシーの母親は、祈るように手を合わせ目をつぶる。 ハードウルフは、なおも呪文詩を繰り返し、唱え、施術を続けたのだった。 ■発覚 ハードウルフ達の懸命な治療は2日間にわたった。 その努力のかいもあって「解毒」されたダーシーは目を覚ました。 ダーシーは、泣き崩れる母の頭をすまなそうな顔をしながらなでていた。 知らせを聞いたエドリックは、ダーシーの元を訪れ、その母親になぐさめの言葉とダーシーと二人だけで話したい旨を告げた。 そして彼の母親を家まで送るようエグビンに指示を出した後、治療小屋の中にエドリックは入る。 傍には、疲れた顔のハードウルフが座っている。 エドリックが今回の事の顛末についてダーシーに尋ねると、しばらく思いつめた表情だったダーシーは意を決した顔で言う。 「エドリック様、おらは罰を受けてもしかたねえ。でもかーちゃんは、何も関係ねえ! なので助けてやってほしい」 ダーシーの母については特に疑っていない事を告げると、安心したダーシーは事の次第を話しだした。 メイソンは、前々からダーシーに話かける事があったようだ。 ある時メイソンが高揚した顔でダーシーに話をした。 なんでも自分は従士様にいずれお仕えできるんだと、今より名誉ある地位になれるんだと。 エドリック様に仕えるのかと聞くと、失笑して「あんなの」ではなくもっとすごい人だとうそぶいていたとのこと。 人の良いダーシーは、話が今一つのみこめないもののメイソンの喜ぶ様子に、『良かったですね』と愛想の言葉を返すのだった。 その言葉を気に入ったメイソンは、ダーシーも一緒に「加担」するようにすすめだしたという。 何のことかと聞くと、この村に騒乱を起こし評判を落とし、より良い統治者がいると噂をひろめるだけだと、恐ろしい事をメイソンは話をしだした。 『そんな! そんなかーちゃんを悲しませることはできねえ!』 そういって協力を渋ると、メイソンはウィゴットや母の名前をだして脅すような事を言ってきたため協力せざるをえなかったと弁明する。 そしてもしメイソンが捕らわれた時は助けるようにあらかじめ指示されていた事を思い出し、夜中に小屋にこっそり来たのだと、ダーシーは言う。 そこには、なぜか縄をほどいて酒らしきものを飲んでいる風のメイソンがいて、彼から勧められるまま酒を飲んだとのこと。 そして気が付いたら、ハードウルフの治療小屋で寝ていたのだと。 これがダーシーの語る、事の顛末だった。 静かな顔で話を聞いていたエドリックは、ダーシーの肩を軽くたたきうなずく。 そして、メイソンと話をしている時こんなものを見たことはあるかとダーシーにたずね、火事の現場に落ちていた銀のブローチを見せる。 「あっ」と声をあげるダーシー。 彼が言うには、メイソンはその銀のブローチを腰から下げた革袋に入れ、自慢話をする際はこっそり取り出してみせびらかしていたとのこと。 思わず立ち上がるエドリックに、ハードウルフは声をかける。 「何やら確信を得た顔をされていますな。そのブローチは『どこの』ものでしょうかな?」 エドリックは、銀のブローチを見つめながら言った。 「これはブラートンを治める『ブラー家』で好んで使う魚の模様だそうだ。 この件に、ブラー家が関係しているかもしれぬ……」 ハードウルフは返す。 「そうであるとして、どうなされますか?」 ブローチをぎゅっと握ったエドリックは決意した。 「ブラー家に、詳しく聞きにいかねばなるまい」 ~次回へ続く~ *1 呪文詩の訳文は、吉見昭徳(著)古英語詩を読む ~ルーン詩からベーオウルフへ~(春風社,2008)より引用しています。 ◆解説編 ■九つの薬草の呪文詩 この呪文詩では、名前の通り九つもの薬草が出てきます。 ドラマでも少しご紹介したように、どのような薬効があり今までどのような活躍をしたのか、まるで人物紹介のごとくその効果を説明する内容となっています。この辺りは、薬草の準備の呪文であり、神聖化の呪文ともいえそうです。 また呪文詩に出てくる、三や九という数字もアングロ・サクソンでは魔術的な意味がある数字とのことです。 日本のヤマタノオロチや九尾のキツネなどにも9という数字はあります。洋の東西を問わず、魔術的な数字なのかもしれません。 呪文の後半では、毒蛇がもたらすさまざまな毒をいかに撃退するかという内容に変わっていきます。 ここでの毒蛇は、病やケガをもたらす超自然的な存在という意味だそうです。 九つの薬草は、世のあらゆる人体への災厄を打ち破り撃退する究極の呪文詩と言えそうです。 ■九つの薬草 さて呪文詩の中に登場する九つの薬草名ですが、聞き覚えのない物ばかりだと思われます。そこで、それぞれが何の薬草なのか、以下に簡単に解説いたします。 ・マッグウィルトとは、ヨモギです。 ヨモギは、日本でも血止めの薬草に使われたり、その独特の香りで餅や団子に混ぜて楽しまれています。 当時ヨモギは魔術との結びつきが強く、古来より厄除けに使われていたそうです。 熱病、けいれん、分娩の苦痛を和らげる薬草と考えられていました。 ・ウァイブラードとは、オオバコです。 オオバコは、日本でもありふれた植物で、若芽を天ぷらにするとおいしいと言われています。 当時は、地面に広く葉が広がること、踏まれて育つというイメージから、足に効く薬効があると考えられていました。 ・スチューン、スティゼは、正確には何の薬草なのか分からないとのことです。 ・アトルラーゼとは、カッコウソウです。 カッコウソウは、5枚の花弁を持つピンクの花を咲かせる多年草です。 古来より薬草として珍重され、庭に咲くと魔除けになると信じられていたそうです。解毒、血止め、不眠症の薬、染料として利用されていました。 ・マイズはカミツレという説があります。 カミツレは、カモミールとも呼ばれています。ハーブティーなどにも使われています。当時は、発汗剤、解毒剤として使われていました。 ・ウェルグルは、イラクサという説があります。 イラクサは、トゲが多く、刺されるとかぶれることもあるようです。 当時イラクサは、北欧神話の雷神トールの草で、火にくべると雷除けになると信じられていました。 また血清や血止めに利用できると信じられていました。 ・フィレは、タチジャコソウです。 タチジャコソウはジャコウのいい香りがするハーブで、タイムと同一視されることもあるようです。 当時は、心臓病、神経症、呼吸器系の病気などに効くと信じられていました。 ・フイヌルは、ウイキョウです。 ウィキョウは、フェンネルとも呼ばれるハーブの一種で、食用として古今東西広く親しまれています。 当時は、肥満、視力回復、魔よけ、解毒などに効くと信じられていました。 ■ウォーデンの考察1 ~北欧神話の主神オーディン説~ 呪文の中盤に「ウォーデン」という名前が出てきます。その正体はゲルマン神話(北欧寸話)の主神オーディンだと、一般に考えられています。 オーディンは様々な知識を蓄えた神です。 その知識を蓄えるために様々なことをしています。 神話では、ルーン魔術の知識を得るために、世界樹ユグドラシルに槍に貫かれた状態で9日間つるされていたとあります。 その際に、医療系のルーン魔術でしばしば扱われる薬草についても知識を得た事が、呪文詩では描かれているのではないかと考えられています。 また呪文詩の中で毒蛇を引き裂く「九つの栄光の枝」も元は九つのルーン文字だったのではという解釈もあるそうです。 オーディンの存在が色濃い九つの薬草の呪文詩は、とりわけ古い時代の神話と深いつながりがあるのかもしれませんね。 ■ウォーデンの考察2 ~錬金術の神ヘルメス・トリスメギストス説~ 多くの学者によって「九つの薬草の呪文詩」に登場するウォーデンは北欧神話の主神オーディンである説が前述のとおり支持されてきたのですが、それに異説を唱える論考があります。 ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジで呪文詩に関する論文で博士号を取得したカレル・フェリックス・フライエ(以下フライエと略します)は、ウォーデンの正体は、錬金術の神、伝説的な錬金術師ヘルメス・トリスメギストスの俗称ではないかと主張しています。 論拠として、主なところでいうと以下の3点をあげています 1.そもそも呪文詩が載っている「ボールドのリーチブック」や「ラクヌンガ」は、医学と薬草学の書であり、ヘルメス神は医学と薬草学に秀でた神であることは、当時のリーチ達にも浸透していたこと 2.呪文詩を校正する詩は、ラテン語の薬草学に関する文言を踏襲したものであること 3.ヘルメス・トリスメギストスの、「トリスメギストス」とは「3倍偉大」という意味であり、呪文詩に繰り返しでてくる三という数字にもぴったりと符合する。 はたして、オーディンなのかヘルメス・トリスメギストスなのか、議論が分かれるところではありますが、いずれにしろ相当強力な神であり、呪文詩にはそれだけ強大なパワーが込められているのかもしれません。 ■呪文詩に含まれる呪術の技法 また、フライエは「九つの薬草の呪文詩」で、「ネームザウバー(名前の魔法)」と呼ばれる技法が使われていると論じています。「ネームザウバー」とは、物体、動物、人間、超自然的な存在に名前を呼びかけ、コントロールする魔術技法です。 コントロールするとは具体的に、どんなことでしょうか? 例えばグリム童話の「ルンペルシュティルツヒェン」で妖精が名前を当てられ逃げてしまったエピソードがあげられます。妖精は名前を当てられてしまった事で、退散せざるをえなくなったのです。「九つの薬草の呪文詩」の場合は、各薬草は「ウーナ」や「薬草の母」など様々な形で異なる名前を付与され、病魔にいかに力強く対抗できるかという性質を付与される形で「ネームザウバー」が使われているとのことです。 魔法における「名前」がもつ意味は、結構深いものがあります。夢枕獏の小説「陰陽師」には、名前を呼ぶことが、ものを縛る呪であるという言葉が出てきますし、アーシュラ・K・ル=グインの「ゲド戦記」においても真の名前は、魔術における核心ともいえる存在といえます。名前を呼ぶ魔法については、機会があれば深く解説してみたいと思います。 ◇次回予告 真実を確かめんと隣国ブラートンに寡兵で向かうエドリック できうる限りの備えと祝福を与えるハードウルフ みたび呪文詩の力が発揮されるか?! 中世ヨーロッパの生活呪文 第5回「旅立ちの呪文詩」 ご期待ください! ◆参考文献 唐沢一友(著)アングロ・サクソン文学史:韻文編 (横浜市立大学叢書―シーガルブックス, 東信社, 2004年) 唐沢一友(著)アングロ・サクソン文学史:散文編 (横浜市立大学叢書―シーガルブックス, 東信社, 2008年) 吉見昭徳(著)古英語詩を読む ~ルーン詩からベーオウルフへ~(春風社,2008年) (カレル・フェリックス・フライエ)Karel Felix Fraaije, Magical Verse from Early Medieval England: The Metrical Charms in Context, English Department University College London,2021,Doctoral thesis (Ph.D) ウェンディ・デイヴィス/編 鶴島博和/監訳 オックスフォード ブリテン諸島の歴史 3 ヴァイキングからノルマン人へ(慶應義塾大学出版会,2015年) 夢枕 獏 (著) 陰陽師 (文春文庫 ゆ 2-1,1991) アーシュラ・K.ル=グウィン (著) 清水 真砂子 (訳) 影との戦い ゲド戦記 (岩波少年文庫,1976)

  • 第3回「体を癒す呪文詩」 | games

    ━━━━━━━━━━━━━━━━■□■ 中世ヨーロッパの生活呪文 (増補改訂版) 第3回 「体を癒す呪文詩」 テンプラソバ ━━━━━━━━━━━━━━━━■□■ ◇はじめに おはようございます! 中世ヨーロッパと西洋風ファンタジーが大好きなテンプラソバです。 中世ヨーロッパの生活に密着した呪文についてのコラム第3回を始めます。 今回は、流産やみずぼうそう、こぶなど人の体の様々な症状を癒す「治癒の呪文詩」を紹介します! 紹介する呪文は、中世に書かれた医学書などに記載され現代まで伝わるもので、フィクションではなく実際に使われていた可能性が高い、ある意味「本物」の呪文です! (ドラマの方は、設定も含めて私がフィクションとして書いたものです) ■ドラマパート前回のあらすじ 10世紀、中世イングランドのとある地方「ハマートン」にて、牛泥棒事件が発生した。当時牛は貴重なため、村を挙げて捜索するも見つからず。 領主のエドリック・ハマーは、不思議な力を持つ医師のハードウルフに牛を探す呪文詩を使うよう助力を求めた。 ハードウルフは協力を約束するものの、強力な呪文には災いをもたらす副作用があることを警告する。 村の広場で牛を探し盗人を罰する呪文詩を発動させるハードウルフ。 やがて、容疑者のメイソンが捕まる。 しかし、その日の夜に犯人を拘留していた小屋が火事に! 呪文の副作用なのか?! メイソンは果たして無事なのか?! ■登場人物 エドリック・ハマー:ハマートンの領主 ハードウルフ:ハマートンの司祭にして医師(リーチ) エドマ:エドリックの妻。とても快活で活動的 エグビン:ハマー家の家人で、エドリックが信を置く者 ウィゴット:牛泥棒の被害にあった農場主 メイソン:ウィゴットの従兄、牛泥棒の犯人として拘留中 ダーシー:ウィゴットの牛番。 ダーシーの母:息子の事で取り乱す。息子への情が深い 3人の老婆:ハードウルフの治療所の常連 ◆第5幕「エドマ」 ■横たわる体 メイソンを拘留していた小屋は焼け落ちた。 日が昇る頃に、エドリック達は焼け落ちた小屋の残骸を片付けつつ、メイソンの遺体を探し、それらしき体を見つけた。 うつぶせの体は、焼け跡にあるにしては綺麗だ。 また、エドリックは遺体にどこか不自然さを感じる。 そこで彼は、メイソンの従弟で牛盗難の被害者でもあるウィゴットに尋ねる。 「ウィゴットよ、この者は本当にメイソンだろうか?」 沈痛な面持ちでぼんやり眺めていたウィゴットは、一瞬けげんな顔をしたが、改めて遺体をよく観察しだした。 焼け残った衣服は、確かにメイソンのものにしてはだいぶみすぼらしい。 それに、手には頭巾らしき布切れが握られている。 確かメイソンは頭巾など被らなかったはず。 頭巾をかぶっていたのは…… 「旦那様! この者、わずかに息があるようです! 体も温こうございます!」 ハマー家の家人エグビンがそう言うと体をひっくり返し、仰向けにした。 ウィゴットは、顔を見て思わず「ダーシー!!」と叫ぶ。 メイソンと思われたのは、実は牛番のダーシーだったのだ。 ■ブローチ 「かみさま!! なんてこと! いったいなぜ! なぜこんな! ひどい!!」 突然背後から、女性の泣き叫ぶ声が聞こえた。 振り返るとそこにいたのは、ダーシーの母親だ。 彼女は、ウィゴットが取った頭巾を奪いとり、ダーシーに覆いかぶさって号泣しだした。 「この子が一体何をしたって言うのですか! こんな優しい……ってあれ?」 覆いかぶさってみてまだ体が温かく、わずかだが息をして居る事に気づく母親。 「しっかりおしダーシー!! ほら! 息をして!」 やや取り乱しつつ、彼の頬をはたきだした。 ダーシーの息はとても浅く、血の気が引いた青い顔のままだ。 エグビンが彼の体を起こして、井戸で組んだ水に浸した布切れで顔をぬぐうなどして介抱している。 一方で、エドリックは改めて周囲を見回していた。 ここにメイソンの痕跡は影も形もない。 メイソンは一体どこへ? そしてなぜ牛番がここに? エドリックは考え込む。ふと焼け跡に光るものを見つけて、拾う。 それは銀製の丸いブローチだった。 そこに彫られたレリーフは、筋彫りが目立つよう筋彫りの背景が黒く細工されている。 黒を背景に銀で描かれ物をよく見えるようにする技法だ。 獣のような怪物のような良くわからないが、なんだか見覚えがあるものが彫られている。 日にかざしてよく見ようとするエドリック。 突然、背後から肩を叩かれ「ちょっと、あなた!」と小声で注意された。 そこにいたのは、妻エドマだった。 鮮やかな青いゆるめのチュニックを着た彼女の腹は大きく膨らみ、子を宿していることが一目でわかる。 彼女は、腕組みをしてこう言った。 「まずは、けが人の手当てが先でしょ?」 ■奥方 エドリックがメイソンの行方について考えを巡らせる間に、散歩していたエドマが泣き叫ぶダーシーの母親に気づき、駆けつけてダーシーの手当てを手伝っていたのだった。 一方のエドリックはというと、少し離れた所で何やらブローチを眺めて難しい顔で考えてばかりの様子だったため、呆れて注意したというわけだ。 そんなわけでエドリック達は、ダーシーを荷車にのせ医師(リーチ)の元へと運びだした。 「それより、お前……こんなに動き回って本当に大丈夫なのか?」と、エドリックは一緒に歩く妊娠中の妻を心配する。 エドマは、妊娠してからも朝の散歩を日課としていた。村中を回るらしく、結構な距離を毎日歩いている。 「だって! しっかり足腰鍛えておかないと丈夫な子を産めないって、お医者(リーチ)さまが!」と大きくなったお腹をさすりながら抗議するエドマ。 しかしエドリックは、幼いころの彼女を思い出す。 男たちと混ざって木登りや肝試しを嬉々として一緒にし、誰よりも足が速いほど足腰が丈夫で活発な子だったのだ。 「……うむ、足腰は大事だな」とエドリックはとくに反論せずに同意するのだった。 ◆解説編 ■10世紀の現場検証と裁判 10世紀のイングランドには、現代のような科学的捜査手法もなく巨大な警察機構もありません。 犯罪の証拠として指紋などを収集するのは、はるか後の19世紀以降です。 また、犯罪などで受けた被害は、復讐など自助努力で何とかしないといけない部分もありました。 では、法などなく力だけがものを言った時代だったかというとそうでもありません。 当時は、民族の慣習をベースに「王の法典」と呼ばれる社会秩序維持目的の法律が作成されていました。 裁判は集会などの形で開かれ、訴えや証言、王に任命された臨時調査人達の報告を元に、判決や紛争の調停などがされていました。 裁判では、「主張の陳述」と「根拠の提示」が基本的な立証方法とされていました。 何らかの被害にあった人が、犯人の目星をつけるために証拠となりそうなものを慎重に収集していたことは十分に考えられます。 ■アングロ・サクソンのブローチ 現代のブローチは、宝石や貴金属などで衣服を飾る目的でつけます。 一方で、アングロ・サクソンの時代のブローチは宝飾品としての飾りと、服の留め具を兼ねた器具でした。 5世紀から10世紀にかけて四角、弓、十字架、輪、円盤型、安全ピン型と様々な形状のブローチが流行しました。 中でも円盤形のブローチは人気で、ケント地方を中心に6世紀から盛んに作成されていたようです。 素材として金、銀、銅の他に、七宝焼き、ガラス、ガーネットなどの宝石が使われていました。 また「ニエロ」という、黒地に浮き出た金属光沢を鮮明に見せる技法も使われました ニエロは、銀などの板への彫りこみに、硫黄、銅、銀、鉛を混合した漆黒の物質を流し込む技法です。 9世紀~10世紀頃の独特な模様は「トレウィドル様式」と呼ばれます。動物や人物のレリーフが複雑に絡み合いシンメトリックに配置されています。物語に出てくる謎のブローチは、大英博物館所蔵の「フラーのブローチ」や「金のベルトバックル」をイメージしています。もしどのようなものかお知りになりたい場合は、参考文献のリンクから大英博物館のページにアクセスするか、検索されてみてください。 ■妊娠関連の呪文詩 呪文詩の中には、妊娠に関するものがあります。 なかなか子ができない事や、流産などを解決する呪文であると推測されています。 大きく3種類あり、いずれも妊娠中に実施する呪文と考えられています。 内容は、様々な行為とセットで短い呪文を唱える構成になっています。 例えば、埋葬された男性の墓地を踏みつけながら、「この行為は、憎むべき『遅いお産』の助けになる」と唱える内容です。 または、流れる水に口に含んだ乳を吐き出して、さらに水をすくって飲み「丈夫な子を家に連れて帰りたい」といった内容の呪文を唱え、他人の家で食物を女性から与えてもらい食べるといった内容もあります。 お産に関する悪い要因を遺体や川などに呪文で転移させるという魔術的技法が、いずれの呪文にも共通するようです。 栄養学や医学が未熟な時代、お産も現代以上に大変だったと思われます。 そのため、異教的な内容であっても、初期キリスト教ではある程度許容されてきた可能性があるようです。当時の苦労と願いが垣間見える呪文だと思います。 ◆第6幕「ダーシー」 ■道のり 牛番のダーシーは、家人たちによって荷車に乗せられ教会へと向かっていった。 荷車の後からエドリックとエドマが並んでついていく。 エドリックは、エドマに尋ねる。 「このブローチなんだが、どこかで見覚えないか?」 彼女は、レリーフの奇妙な怪物をしげしげと見ながら 「そうね……確かに見た事あるわね。どこで見たのかしら?」 そういって眉間にしわを寄せ考える。 道端の岩の上でコマドリが激しく甲高いさえずり声をあげている。 どうやら遠くにいるらしいコマドリと鳴き比べをしているようだ。 太陽は徐々に真上に登り、畑では農夫たちが作業の真っ最中だ。 一仕事終えた農家の馬が、文字通り道草を食べている。 首を振って思い出すのをあきらめた彼女は、すぐにこう続ける。 「でも、お父様に見せてみたら? あの方ならきっとわかるわよ」 妻にそう言われると、本当にそんな気がしてくるから不思議だ。 「父の部屋にいってくる。ダーシーが目を覚ましたら使いをやってくれ。聞きたいことがある」 そういってエドリックは、そのまま館にある父の部屋へと向かった。 荷車とエドマ達は、そのままハードウルフがいる治療小屋へと向かった。 ■治療小屋 治療小屋の前には、現役を引退した老人たちが列を作り椅子や柵、樽などに腰掛け談笑していた。 博愛の精神を持つ医師(リーチ)は、この村に赴任した時に、身分の差なく体に不調あればいつでも治療小屋を訪ねるよう村人に宣言した。 以来、体の不調を訴える人、主に現役を引退した老人たちがいつでも小屋の前にたむろするようになったのだ。 小屋の中ではハードウルフの呪文の詠唱が聞こえる。 多くの老人たちの悩みの一つである、体の節々の痛みに対抗する呪文だ。 低く張りがあり優しさのある声は、それだけで老婆達に人気だった。 「出でよ、小さき槍、この中にあるならば。 我シナノキの盾の下に立ちて、輝ける盾の向こうにて、 そこにて、かの猛き女子ら力を現し、 叫び声挙げ槍は放ちたり。 我この槍を送り返さん、 飛び来る矢を彼女らの真正面より」*1 小屋の中から聞こえる馴染みのある呪文に、一人の老婆が以前受けた治療の自慢話をはじめた。 「先生のな、あの呪文はな、痛みによく効くのよ。本当にあの先生の素敵な声はな」 近くにいた友人と思しき老婆がやや茶化す感じで 「先生の声にかかれば、痛みの悪さをする『猛き女子』もあっという間に逃げ出すね!」 もう一人の老婆が続けてこう答える。 「その代わり別の『猛き女子』がくるさね! わしらのような女子がな!!」 そう言って3人は破顔して大声で笑いあう。 そこにエドマとエグビン達がダーシーを乗せた荷車と共にやってくる。 老婆達が我先にとエドマに挨拶してお腹の子の調子や体調を尋ねる。 老婆たちの顔は、しわくちゃの笑顔で自分の娘や孫に接するようにとても親しげだ。 エドマは挨拶を返しつつ、荷車を通すように皆に頼んだ。 小屋の前にたむろしていた人々は速やかに道をあけ、エグビンがダーシーを荷車から降ろすのを手伝う者もいた。 そして、心細そうについてきたダーシーの母親を慰めようと言葉をかける者、抱きしめる者、神に祈る者もいた。 皆口々に言うのだ。 「お医者(リーチ)さまにみせれば、大丈夫だ」と。 ~次回に続く~ *1 呪文詩の訳文は、唐沢一友 (著)アングロ・サクソン文学史:韻文編 (横浜市立大学叢書―シーガルブックス, 東信社, 2004) より引用しています。 ◆解説編 ■突然の痛みへ対抗する呪文詩 現代ではリウマチなどの「突然の痛み」の症状について、当時のイングランドでは超自然的存在が体内に持ち込んだ様々な武器が原因と考えられていたようです。 対抗策として、当時の有名な医学書の一つ「ラクヌンガ」には痛みを抑える軟膏の作成方法と、呪文詩が記載されています。 軟膏は、ナツシロギク、赤いセイヨウイラクサ、オオバコをバターの中で煮て作るよう書かれています。 呪文詩は、痛みの原因となる超自然的存在に直接語りかけ、体内から出ていくような内容になっています。 超自然的存在として様々なものが登場します。 「猛き女子」は、体内に槍を持ち込む北欧神話の戦乙女ヴァルキリーや、大きな災いをもたらす謎の狩猟団「ワイルド・ハント」伝説に出てくる夜空を騒々しく渡る狩猟団メンバーなどと考えられていました。 他にも、6人の鍛冶師が鍛えたナイフや死の槍を、魔女が鉄片を持ち込むという内容がみられ、呪文詩でそれらを追い出すよう訴えかけています。 ■体を癒す様々な呪文詩 体を癒す呪文詩には、他にも体にできたコブに対抗する呪文詩、みずぼうそうを癒す呪文詩、ドワーフに対抗する呪文詩などがあります。 それらの呪文詩の内容は、エルフやドワーフなどアングロ・サクソンの古来の伝説の影響が見られる一方で、呪文の一部に聖人の名前が出たり、最後にアーメンでしめくくるなどキリスト教の影響も強く出ています。 ここで言う「ドワーフ」や「エルフ」は、アングロ・サクソン人のルーツにあるゲルマン神話(北欧神話)に出てくる超自然的存在を意味します。 現在のような、人間が接触可能なヒューマノイドとしてのイメージは、J.R.R.トールキンの小説「指輪物語」以降に広く流布したものと考えられています。 コブに対抗する呪文は、コブ自体に小さくなって消え去るよう訴えます。 かまどの焼けてちいさくなった石炭や、水たまりの水のように小さくなって消えるような内容です。 みずぼうそうを癒す呪文詩の名前は、水エルフとなっています。 おそらく当時は、水棲のエルフが原因と考えられていたのでしょう。 呪文詩では、まずルピナス、ディル、コケモモ、ヨモギなど18種類の薬草をエールと聖水でまぜて薬を作るよう指示があります。 次に、その薬を患部に塗りながら呪文を唱えるように書いてあります。 内容は、いかに素晴らしい薬か「最高の戦友」と表現し、この薬がどのように症状を抑え治していくかを説明する内容です。 ドワーフに対抗する呪文詩は、キリスト教の影響が一層色濃く見えます。 この呪文詩では、睡眠中の発作や痙攣、悪夢がドワーフにとりつかれたことが原因と考え対抗する内容となっています。 最初に「七人の眠り聖人」というキリスト教の伝説的な聖人の名前を7枚の薄く焼いたパンに書くよう指示があります。 「七人の眠り聖人」とは、岩の中に閉じ込められ数百年後に目覚めたという伝説を持っています。 眠りについての何らかの効力を期待して、呪文詩に登場するのかもしれません。 その後、呪文により召喚された蜘蛛が耳から入りドワーフを体内から排除して病を癒すといった内容となっています。 超自然的存在への対抗方法にも様々な方法があるようですね。 ◇次回予告 ハードウルフによって、いよいよ「九つの薬草の呪文詩」の力が発動する! 次々と投入される薬草!やがて現れる古代の神々の力! 昏睡中のダーシーは治療されるか?! 中世ヨーロッパの生活呪文 第4回「九つの薬草の呪文詩」 ご期待ください! ◆参考文献 唐沢一友(著)アングロ・サクソン文学史:韻文編 (横浜市立大学叢書―シーガルブックス, 東信社, 2004年) 吉見昭徳(著)古英語詩を読む ~ルーン詩からベーオウルフへ~(春風社,2008年) ウェンディ・デイヴィス/編 鶴島博和/監訳 オックスフォード ブリテン諸島の歴史 3 ヴァイキングからノルマン人へ(慶應義塾大学出版会,2015年) Merriam-Webster Encyclopædia Britannica 1911.Vol28.P523."WERMUND" (カレル・フェリックス・フライエ)Karel Felix Fraaije, Magical Verse from Early Medieval England: The Metrical Charms in Context, English Department University College London,2021,Doctoral thesis (Ph.D) 森貴子(著)アングロ・サクソン期ウスター司教区の訴訟一覧(愛媛大学教育学部紀要,第67巻,213~225ページ,2020年) 森貴子(著)中世初期イングランドの紛争解決―Fonthill Letter を素材に(1)―(愛媛大学教育学部紀要,第63巻,275〜284ページ,2016年) Decoding Anglo-Saxon art(アングロサクソン美術の解読) https://www.britishmuseum.org/blog/decoding-anglo-saxon-art The Fuller Brooch(フラーのブローチ) https://www.britishmuseum.org/collection/object/H_1952-0404-1 belt-buckle (金のベルトバックル) https://www.britishmuseum.org/collection/object/H_1939-1010-1

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  • 第2回「いなくなった牛を探す呪文詩」 | games

    ━━━━━━━━━━━━━■□■ 中世ヨーロッパの生活呪文 (増補改訂版) 第1回 「中世イングランドの呪文詩」 テンプラソバ ━━━━━━━━━━━━━■□■ ◇はじめに おはようございます! 中世ヨーロッパと西洋風ファンタジーが大好きなテンプラソバと申します。 中世ヨーロッパの生活に密着した呪文についてのコラム第2回を始めます。 今回は、「いなくなった牛を探す呪文詩」を紹介します! 紹介する呪文は、中世に書かれた医学書などに記載され現代まで伝わるもので、フィクションではなく実際に使われていた可能性が高い、ある意味「本物」の呪文です! (ドラマの方は、設定も含めて私がフィクションとして書いたものです) ■ドラマパート前回のあらすじ 10世紀、中世イングランドのとある地方「ハマートン」にて、牛泥棒事件が発生した。 領主エドリック・ハマーは、解決の糸口が見えないため、ハードウルフという司祭に助力を求める。 実はハードウルフは「呪文詩」という不思議な力を持つ者だ。 彼は協力を約束するものの、強力な呪文には災いをもたらす副作用があることを警告する。 その事に、エドリックは即答できず考え込むのだった。 ■登場人物 エドリック・ハマー:ハマートンの領主 ハードウルフ:ハマートンの司祭にして医師(リーチ) エグビン:ハマー家の家人で、エドリックが信を置く者 ウィゴット:牛泥棒の被害にあった農場主 メイソン:ウィゴットの従兄、ウィゴットと一緒にエドリックに陳情しにきた ◆第3幕「ガールムンド」 ■舞台は整った 日が西に傾く頃、農民達は麦畑から引き揚げ、牧童達は家畜を追いながらそれぞれ家に向かう。 昼間は閑散としている村の広場が少しだけにぎやかになる時間、エドリックとハードウルフが広場の中央に立っていた。 ハードウルフは、写本を片手に持ち、もう一方の手にはねじれたハシバミの杖を握り、村の集会などに使う台の上に立っている。 台の横でエドリックが剣を地面に突き立てつつ、束(つか)に両手を置いてハードウルフと同じ方角を見ていた。 ハードウルフが信頼する家人エグビンは、そんなハードウルフとエドリックを見守るように広場に立っている。 いったい何が始まるのかと足を止める農夫、噂を聞きつけてわざわざ見に来た子供達などで、いつの間にかエグビンの背後に人だかりができていた。 ウィゴットとメイソン、そして牛番のダーシーという名の者も来ている。 メイソンの顔はなぜか不安げだ。 ■詠唱 ハードウルフが軽く咳ばらいをすると、小さな声でなにごとかつぶやきだした。 つぶやき終わった後、説教などで鍛えたその喉から迫力のある低い声で古の呪文詩を詠唱し始めた。 「ガールムンド、神の家臣よ、 かの家畜を見つけたまえ、かの家畜を戻したまえ、 かの家畜を捕らえたまえ、かの家畜を保ちたまえ、 そしてかの家畜を家に戻したまえ、 盗人の家畜を導き行く土地一坪たりともなきよう、 家畜を贈る土地もなきよう、 家畜を囲う家もなきよう。」 ハードウルフは、両手を大きく広げ、ハシバミの杖をかざし呪文を続ける。 夕明かりが目に反射し、炎のようにきらめく。 「これを試みる者ありとて、ゆめ思いのままにはならぬように。 三日のうちに我彼(ガールムンド)の力を知らん、 彼の力、彼の守護力を。 盗人、木が火に焼かるる如く消え失せんことを、 盗人、アザミのごとく虚弱にならんことを、 家畜を盗まんとする者が、 家畜を盗まんとする者が。」*1 ■発現 夕闇の茜と夜の蒼色が混ざり、静寂が訪れる。 この辺りではあまり見ないはずのワタリガラスの群れが、突然村の上空を通る。 村人があぜんと見上げる中、群れが一体となって影が様々な形を作りつつ飛んでいく。 そして影が、一瞬人の顔のような形になり村を見つめた。 顔のような形はすぐに崩れ、そして入り乱れたワタリガラスが群れごと森の方に去っていく。 皆かたずをのんで静かになった中で、一人の男が小さく悲鳴をあげた。 彼は一人、村の出口に向かって速足で歩きだした。 エドリックはその姿がメイソンであることを見抜いた。 「エグビン!」 信頼する家人の名前だけを呼ぶエドリック。 エグビンは心得たとばかりに、メイソンの後を追いかけ始める。 *1 呪文詩の訳文は、唐沢 一友 (著)アングロ・サクソン文学史:韻文編 (横浜市立大学叢書―シーガルブックス, 東信社, 2004) より引用しています。 ◆解説編3 ■居なくなった牛を探す呪文詩(1つ目、3つ目) 写本に記載されている3種類の「居なくなった牛のための呪文詩」ですが、1つ目と3つ目の呪文詩はほぼ同じ内容です。(なぜ同じ内容なのかよくわかりません) 1つ目と3つ目の呪文の内容は、キリスト教の影響を大変強く感じる内容です。 以下に、私自身が英語から翻訳した内容を紹介しましょう。 ----- あなたの物がなくなったと誰かに告げられたら、まずこう言いましょう。 『キリストが生まれしその街は、ベツレヘムという。 その街の名は、かの御方の人類救済のための偉大なる死のために、中つ国にあまねく知れわたる! アーメン!』 それから東に向い、以下を3回唱えましょう。 『キリストの十字架は、東よりもたらされた!』 また西、南、北、それぞれに向い、呪文詩も「東」からそれぞれの方角に入れ替えつつ、同様に3回唱えましょう。 最後に以下を唱えましょう。 『ユダはキリストを密告し最悪の形で死をもたらし、さらにその行いを隠そうとして隠せずなり。 ゆえに、キリストの聖なる十字架にかけて、何事も隠し通せませんように! アーメン!』 ----- 以上のように、キリストの説話と奇跡になぞらえて、なくなったものを取り戻そうとする内容になっています。 ■居なくなった牛を探す呪文詩(2つ目) 2つ目の呪文詩のみ、上記のドラマで紹介したように異なる内容となっています。 呪文詩の前文にキリストの偉業になぞらえて、盗まれた牛を隠しおおせないといった呪文と、しめくくりに「アーメン」という言葉が入り、キリスト教関連であるような体裁が整えられています。 しかし、呪文詩のほとんどはガールムンドという「神の臣下」によって、盗人が悪事を暴かれ罰せられるという内容となっています。 このガールムンドについては、呪文詩の引用元の著者 唐沢一友さんは、何者であるか一致した意見はないものの、超自然的存在であり、この呪文自体異教の古い伝統に則ったものであると考えられると述べていらっしゃいます。 はたして、ガールムンドとは一体なんでしょう? ◆第4幕 ガールムンド ■「家畜を盗んだ者」 速足で村はずれの方向に急ぐメイソン。 後方からエグビンが声をかけると、はじかれた様に走り出した。 エグビンと3人ほどの家人が、猟犬のようにその後方を走って追跡しだした。 メイソンが逃げ切るのはどうも難しそうな様子だ。 やがて村はずれ近くの建物の影で、エグビン達がメイソンに追いつく。 「俺にさわるな! 俺にさわるな! 俺が本気になれば、お前たちごとき……!」 必死に抵抗の叫びをあげるメイソンだったが、すぐにおとなしくなった。 ■事件は解決した メイソンの自白によって、ウィゴットの牛は無事見つかった。 村からだいぶ離れた使われなくなった家屋の中に隠していたのだ。 牛はエサもろくに与えられていなかったのかヨロヨロ歩きだった。 さいわい、命には別条なさそうだ。 メイソンは盗人として拘留されるが、館の拘束部屋の準備に1日ほどかかってしまう。 そこでひとまず、メイソンをウィゴットの家の小屋に拘留する事となった。 明日エドリックが、メイソンのもとに向かい直々に事情聴取をするのだ。 ■「木が火に焼かるる如く消え失せんことを」 その夜…… 「火事だ!!」といういくつかの叫び声でエドリックは目が覚めた。 急いで外にでると、ウィゴットの家がある方向が明るい。 「まさか……!」 燃えているのは、メイソンが拘留されている小屋だった。 「村にも災いが起きる」とはこのことかと、エドリックは燃える炎に一瞬見入った。 はたして、メイソンは無事か? そもそもなぜ出火したのだろうか? その疑問を振り払うように、エドリックはエグビンや他の家人に消火の指示をきびきびとあたえ、自らも現地に消火におもむこうとしていた。 ~次回に続く~ ◆解説編4 ■「ガールムンド」の考察1 呪文詩に出てくるガールムンドですが、調べてみると実は同名の人物がとある有名な叙事詩の中に少しだけ出てきます。 それは、英雄ベーオウルフを称えるイギリス最古の英雄叙事詩「ベオウルフ」です。 しかしガールムンド自身に関する記述はほとんどなく、子がオファ王、孫がエーオメール王であることぐらいしか書かれていません。 またアングロ・サクソン人の伝説的な王についてまとめた書籍「アングロ・サクソン年代記」には、ウェルムンド王という人物が出てきて、またの名をガールムンドと言います。 ウェルムンド王は、北欧神話の主神オーディンの孫ともされるようです。 ただウェルムンド王も、盗まれたものを奪還したり、失くし物を見つけたりといったエピソードがあるわけではなく、仮に呪文詩の中の人物と同一とした場合、その理由がよくわからないと言えます。 オーディンの血族という部分は何か関係ありそうですが、やはり謎の人物ですね。 ■「ガールムンド」の考察2 ガールムンドについては、ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジで呪文詩に関する論文で博士号を取得したカレル・フェリックス・フライエ(以下フライエと略します)によって面白い考察がされています。 彼の調べによるとやはり謎の人物として議論されていて、いわく「キリスト教以前の神話上の霊または人物」、「インド・ヨーロッパ語族の起源を持つ若い神」、「戦士文化の典型的な要素を構成している軍事的用語」など諸説あるようです。 さらにフライエは、5世紀前後に実在した守護聖人ゲルマヌス(オーセールのゲルマヌス)に以下の2点で注目します。 1) 聖ゲルマヌスは書籍などを通して初期イングランドでも知られていたこと 2) 聖ゲルマヌスのエピソードの中に、盗人を拘束したり自白させる奇跡の物語があること 聖ゲルマヌス=ガールムンドと断定はしていませんが、従来の謎の人物像に光をあてる論説をされています。 ちなみに聖ゲルマヌスはフランス出身で、フランス語読みをすると「サン・ジェルマン」となります。 永遠にいきるという伝説の怪人サン・ジェルマン伯爵とどういう関係があるのかは不明です…… ■アザミの呪い 呪文詩の最後にある一節「盗人、アザミのごとく虚弱にならんことを」についてもフライエは呪いの一種であるという指摘をしています。 北欧神話について描かれた詩集「エッダ」の中で、女神フレイヤの従者スキールニルが、巨人を「アザミの花のようになれ!」と呪うシーンが出てきます。 アザミは枯れる際に綿毛を風に飛ばして散っていくわけですが、この様子が力を失い滅ぶイメージに重なり「アザミの花のようになる」ことが呪いとして成立しているのではと考察してます。 さらに同時に、旧約聖書詩編82にある異教徒が神の力で滅んでいくシーンにも韻律が重なる部分があり、二重に呪いの言葉として唱えられているのではないかと考察しています。 呪文の考察は奥が深そうですね。 ◇次回予告 火事の焼け跡から牛泥棒の行方につながりそうな手掛かりを見つけるエドリック 一方治療所にてハードウルフは多くの患者を相手に様々な呪文詩を唱える 呪文詩の癒しの力とは?! 中世ヨーロッパの生活呪文 第3回「体を癒す呪文詩」 ご期待ください! ◆参考文献 唐沢一友(著)アングロ・サクソン文学史:韻文編 (横浜市立大学叢書―シーガルブックス, 東信社, 2004年) Merriam-Webster Encyclopaedia Britannica 1911.Vol28.P523."WERMUND" (カレル・フェリックス・フライエ)Karel Felix Fraaije, Magical Verse from Early Medieval England: The Metrical Charms in Context, English Department University College London,2021,Doctoral thesis (Ph.D) ウェンディ・デイヴィス/編 鶴島博和/監訳 オックスフォード ブリテン諸島の歴史 3 ヴァイキングからノルマン人へ(慶應義塾大学出版会,2015年)

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